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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0566A01: 以て。道譽讓りて第二世となし衆を領せしむ。存把
J20_0566A02: は前に述べしごとく飯沼檀林に第九世の住持たりし
J20_0566A03: が。飯沼の兵燹に罹るや結城に退居し。此に結城秀康
J20_0566A04: を檀主として弘經寺をひらき。飯沼の規模を移して
J20_0566A05: 結城檀林の基礎を定めたる人。飯沼に於ては後縁山
J20_0566A06: 系の照譽了學來りて之を復興し。存把が廢を興さざ
J20_0566A07: りしを誹り。之を世代より除却するも。時機實に可
J20_0566A08: ならざるものあり。強ちに之を責むるは酷と云はざ
J20_0566A09: るべからず。慶長八年九月十一日武田萬千代丸(信
J20_0566A10: 忠家康の第四子にして水戸城主たり)の薨ずるや。
J20_0566A11: 家康の命により彼地に赴き下炬の導師と成り。其翌
J20_0566A12: 年また命により結城より瓜連に轉住して第十三世た
J20_0566A13: り。其德望衆に超へしにあらずんばいかにしてかか
J20_0566A14: る厚遇を蒙らんや。
J20_0566A15: 虎角の門下また鳳雛に乏しからず。滿譽尊照。琴
J20_0566A16: 譽盛林。雄譽靈巖。源譽隨流。圓譽潮流等は其最も
J20_0566A17: 卓絶せる者なり。尊照は飯沼鎭譽祖洞の弟子にして
J20_0566B18: 知恩院第二十八世たりし浩譽宗甫の門弟なりしが。
J20_0566B19: 關東檀林に學ぶに方りて虎角に嗣法す。是れ元來其
J20_0566B20: 飯沼の系統に屬したるが故なること明なり。嗣法西歸
J20_0566B21: ののち宗甫に次ぎて知恩院第二十九世の住持と成り
J20_0566B22: しが。時恰も德川氏幕府創草に際し。家康の歸信を
J20_0566B23: 博し。知恩院をして今日の雄大をなさしめたる英傑
J20_0566B24: なり。
J20_0566B25: かくて次期の最初に於ても。知恩院は飯沼系の勢
J20_0566B26: 力範圍に屬し。良純法親王を始め華頂宮は多く生實
J20_0566B27: 深川等の飯沼流。適切に云へば道譽流の檀林に於て
J20_0566B28: 加行嗣法し給ひしなり。盛林(或は西林に造る)は道
J20_0566B29: 殘源立以後黑谷金戒光明寺の頽廢せるを起したる
J20_0566B30: 人。廓山。了的等と共に家康に愛せられ。慶長十八
J20_0566B31: 年九月百三十石の朱印並に門前境内地の判物を賜は
J20_0566B32: り。又家康に乞ひて備後國瀨戸田の遺跡に傳へられ
J20_0566B33: し。宗祖の影像並に聖經を黑谷に收めたるも彼の盡
J20_0566B34: 力によると云ふ。靈巖。隨流。潮流相承けて大巖寺

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