ウィンドウを閉じる

J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0565A01: するや。縁山は全く感譽系統の獨占する所となり。
J20_0565A02: 道譽は飯沼系統を代表して。感譽に對抗して。其系
J20_0565A03: 統は飯沼生實等に據りて感譽系統に對峙するに至
J20_0565A04: れり。
J20_0565A05: 一 道譽流
J20_0565A06: 道譽 諱は貞把。馨蓮社と號す。永正十二年和泉
J20_0565A07: 國日根郡鳥取庄波宇手村に生る。大永七年十三歳に
J20_0565A08: して同庄寶福寺貞也に就き出家得度す。享祿四年
J20_0565A09: 十七歳にして關東に笈を負ひ飯沼に掛錫し鎭譽に嗣
J20_0565A10: 法し。數年にして歸郷せしも學解の足らざるを憾み
J20_0565A11: 再たび東遊して飯沼に寓す。飯沼に在りて切差琢磨
J20_0565A12: し。學成りて受法餘り無きに及び四方に遊化す。天
J20_0565A13: 文二十年頃下總國千葉郡生實郷に施化したるに。土
J20_0565A14: 地の領主原式部少輔胤榮(千葉氏の支族)夫妻の深く
J20_0565A15: 歸依する所となり。彼等檀主と成り生實郷の沼澤を
J20_0565A16: 塡め僧伽藍を草創し。道譽を以て開山となす。是龍
J20_0565A17: 澤山玄忠院大巖寺なり。創立幾ならざるに彼の德風
J20_0565B18: を望みて。四方の學徒此に輻輳し遂に一大叢林と成
J20_0565B19: り。後飯沼寶幢の中絶するに及びて終に一流の本山
J20_0565B20: と成れり。弘始元年七月杲譽天啓の招に應じて。璽
J20_0565B21: 書を縁山に承襲し增上寺第九世と成る。縁山を管す
J20_0565B22: る九年永祿六年辭して生實に歸住す。是より先高弟
J20_0565B23: 安譽虎角師の跡を守り。雲衲を接化する傍。伽藍の
J20_0565B24: 完備增築に盡瘁し。龍澤叢林の規模を大成するに與
J20_0565B25: りて力あり。故に歸住後幾もなく叢林の師職を之に
J20_0565B26: 讓り。同國印旛郡臼井村に長源寺を創立し之に隱棲
J20_0565B27: し。一向に念佛しつつありしが。天正二年十二月七
J20_0565B28: 日長源寺に入寂す。世壽六十なり。
J20_0565B29: 道譽の門下俊秀尠からず。諸國に遊化して新寺を
J20_0565B30: 創め廢院復興したる者數十に及ぶ。就中最も卓絶せ
J20_0565B31: るは安譽虎角。檀譽存把の兩人なり。虎角諱は雲
J20_0565B32: 潮。道譽門下の顏回として師の信任太だ厚く。初岩
J20_0565B33: 築淨安寺に住せしが。師の縁山に住するや。生實の
J20_0565B34: 叢林を守り且其大成には彼が努力與りて大なりしを

ウィンドウを閉じる