浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0564A01: | 知恩院に於ては。慶竺の次に周譽珠琳あり。珠琳 |
J20_0564A02: | は了曉の資にして大譽の法姪たり。慶竺に繼ぎ知恩 |
J20_0564A03: | 院第二十二世の住持たりしが。彼の住職中には應仁 |
J20_0564A04: | の大亂あり。知恩院も百萬遍等と同じく兵燹に罹 |
J20_0564A05: | り。堂宇擧げて烏有に歸せしかば。宗祖の影像並に |
J20_0564A06: | 什寶を奉じて近江國伊香立に難を避け。新知恩院を |
J20_0564A07: | 建立す。此に在ること八年なりしが。亂後京都に還り |
J20_0564A08: | 堂宇を再構し祖影をも修覆したる等。興復に力あり |
J20_0564A09: | しのみならず。尚蔭凉日錄によるに。足利將軍義政 |
J20_0564A10: | に親近し。適には義政の參詣を請ひ。知恩院の勢力 |
J20_0564A11: | を扶植するに力めたるもののごとし。故に知恩院に |
J20_0564A12: | は中興の稱あり。 |
J20_0564A13: | 珠琳辭退ののち。珠琳の法弟たる勢譽愚底入りて |
J20_0564A14: | 相續し。愚底辭退の後(又其法弟)にして三河大恩寺 |
J20_0564A15: | 中興たる肇譽訓公之に代り。訓公の後釋譽存冏の資 |
J20_0564A16: | 超譽存牛入りて住し。存牛の後勢譽愚底の資保譽源 |
J20_0564A17: | 派之に住したり。かくして一時知恩院は全く信光明 |
J20_0564B18: | 寺及大樹寺等の。三河に於ける飯沼法統の左右する |
J20_0564B19: | 所たりしを見るべし。 |
J20_0564B20: | |
J20_0564B21: | 第五章 道感二師の對揚 |
J20_0564B22: | |
J20_0564B23: | 酉譽聖聰の門下は。關東三河京都等各地に遊化割 |
J20_0564B24: | 據して。各宗風の宣揚に努めたるも。就中關東に於 |
J20_0564B25: | ける縁山と飯沼との二法統の對立は。最も注目すべ |
J20_0564B26: | きものたることは前の記述により知るべし。然るに此 |
J20_0564B27: | 兩流の對立は道譽。感譽によりて代表せらるるに至 |
J20_0564B28: | り。一層其色彩を鮮にせり。即道譽は飯沼第五世鎭 |
J20_0564B29: | 譽祖洞の弟子にして。感譽は增上寺第八世杲譽天啓 |
J20_0564B30: | の法資なり。兩人略時代を同うし。其人物學識等に |
J20_0564B31: | 於ても拮抗して相下らざるものあり。道譽も杲譽に |
J20_0564B32: | 次ぎ感譽に先だち增上寺に入り。縁山第九世の位置 |
J20_0564B33: | を領有し。縁山系統以外の人に非るがごとき觀を呈 |
J20_0564B34: | するも。感譽の縁山に入り其法資存應の次で之に住 |