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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0555A01: に遭ひ。伽藍器具什寶等擧て烏有に歸す。起立塔像も
J20_0555A02: さることながら。彼に取りては之よりも尚緊急なるも
J20_0555A03: のあり。即學徒の敎養と鈔疏の撰述是なり。是を以
J20_0555A04: て瓜連の復興事業は末葉に讓り。爾後講學述作を以
J20_0555A05: て專務とせり。然るに當時干戈相接し。屢師が講學
J20_0555A06: を妨げ述作を障へたり。即應永三年直牒述作の際に
J20_0555A07: は。佐竹氏の亂により郡中の緇素四方に逃散した
J20_0555A08: るを以て。師も亦久慈郡川島村阿彌陀山に隱遁し。
J20_0555A09: 山中の巖穴に蟄居し。乾柿飢餓を凌ぎ巖滴渴を醫し。
J20_0555A10: 刻苦辛うじて之を大成したり。直牒の引文に間間訛
J20_0555A11: 誤あるは盖參考書なく。暗記により成されたるによ
J20_0555A12: ると云ふ。
J20_0555A13: 是より先。明德四年十二月五重宗脉を立て之を弟
J20_0555A14: 子聖聰に授く。是本宗五重相傳の濫觴なり。此年聖
J20_0555A15: 聰武州貝塚に增上寺を開き。一方の叢林となせし
J20_0555A16: が。應永二十二年小石川に小菴を構へ師を請す。師瓜
J20_0555A17: 連の寺務を弟子明譽了智に附して之に赴く。時に年
J20_0555B18: 七十五なり。其菴は聖冏菴と稱し。今極樂水宗慶寺
J20_0555B19: の故地なり。德川時代に至り東照公の生母水野氏の
J20_0555B20: 遺骸を此近地に埋窆し。傳通院を營建して香華院と
J20_0555B21: なすに及び。師を以て開山と定む。小石川の菴居にあ
J20_0555B22: りて日夕稱名講學述作を事としたりしが。應永二十
J20_0555B23: 七年九月二十七日。聖冏菴に示寂す。壽滿八十。遺偈
J20_0555B24: あり云く。放行把住滿八十年即今端的知不識日輝東
J20_0555B25: 山月西天と。著す所傳通記糅鈔四十八卷。決疑鈔直牒
J20_0555B26: 十卷。往生禮讚見聞二卷。一枚起請文註解一卷。顯淨
J20_0555B27: 土傳戒論一卷。淨土付法傳一卷。略名目圖一卷。淨土
J20_0555B28: 名目圖見聞二卷。往生記投機鈔一卷。授手印傳心鈔
J20_0555B29: 一卷。領解授手印徹心鈔一卷。決答疑問銘心鈔二
J20_0555B30: 卷。五重指南目錄一卷。十八通二卷。同裏書一卷。
J20_0555B31: 淨土二藏二敎略頌一卷。同頌義三十卷。頌義見聞八
J20_0555B32: 卷。心具決定往生義一卷。報恩謝德鈔一卷。鹿島問
J20_0555B33: 答一卷。隼疑冏決集一卷。觀心要決集一卷。不思議
J20_0555B34: 鈔一卷。佛像幖幟義一卷。勸心往生論慈訓鈔一卷等

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