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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0553A01: ち咎むべきに非るのみならず。かくして本宗の諸宗
J20_0553A02: に對する位地を明にし。宗徒をして因循固陋の風を
J20_0553A03: 棄てて。進取獨立の態度を取るに至らしめたるの功
J20_0553A04: 績は何人も拒む能はざるべし。
J20_0553A05: 聖冏は敎義上。隨他扶宗門によりて諸宗と折衝
J20_0553A06: し。宗徒をして不覊獨立の精神を奮起せしめたるの
J20_0553A07: みならず。實際上に於ても。宗戒兩脈を制定して宗
J20_0553A08: 徒の養成統一に確固たる基礎を造れり。宗祖は開宗
J20_0553A09: 以來聖道自力の諸行を閣きて。專修一行に入られし
J20_0553A10: こと既に述ぶる所の如し。然れども親鸞の如く出家の
J20_0553A11: 行相までも止められざりき。從て自身天台宗に於て
J20_0553A12: 出家のままなるのみならず。其門弟も慈圓僧正等
J20_0553A13: に附屬して叡山に於て受戒せしめられしことは。證
J20_0553A14: 空源智等の場合に徴して明なり。啻に宗祖が然るの
J20_0553A15: みならず。二祖三祖又然り。四祖良曉の如きも受戒
J20_0553A16: の爲に態態比叡山に登りたり。かくて冏師以前に於
J20_0553A17: て。獨立の僧侶たらんには比叡山或は他の諸大寺に
J20_0553B18: 入り。夫夫の宗旨の作法に從はざるべからず。然ら
J20_0553B19: ざるものは獨立の僧侶と見做されず。單に道心者と
J20_0553B20: せられたり。此點に於ても虎關が淨土を寓宗とせし
J20_0553B21: は。事實を語るものにして必しも誣いたりと云ふべ
J20_0553B22: からず。冏師の宗戒兩脉傳承形式の制定は。實に此
J20_0553B23: 欠點を補〓。本宗獨立の僧侶を作り。又同一形式に
J20_0553B24: より宗侶の統一を計れるものに外ならず。
J20_0553B25: 聖冏。酉蓮社了譽と號す。後世宗徒尊稱して冏師
J20_0553B26: 或は冏公と云ふ。又眉間に半月痕ありしを以て。三
J20_0553B27: ケ月上人とも稱す。常陸國久慈郡岩瀨城主白吉志摩
J20_0553B28: 守義光の息にして。曆應四年正月二十五日誕生す。
J20_0553B29: 五歳父を喪ひ。貞和四年八歳にして了實の門に入り
J20_0553B30: 出家す。幾もなく了實之を蓮勝の下に送り宗學を受
J20_0553B31: けしむ。後又蓮勝之を定慧の下に遣し宗戒の奧義を
J20_0553B32: 諮稟せしむ。始箕田を訪ひ。次に鎌倉を尋ね。最後
J20_0553B33: 桑原に於て定慧に謁す。定慧其器を偉とし。蘊蓄を
J20_0553B34: 傾倒し相傳の奧義を瀉瓶相承す。是より先。了實も

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