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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0551A01: 實の末山傳是なり。
J20_0551A02: 蓮勝字は永慶。常陸の産なりと傳へらるるも。里
J20_0551A03: 族は不明なり。鎌倉良曉に投じて剃髮出家し。永く
J20_0551A04: 隨從して備さに宗要を禀け。元應二年四月十三日。
J20_0551A05: 宗脉相承の璽書を受く。後去りて郷國に還り遊履念
J20_0551A06: 佛を勸進し。延元元年同國久慈郡太田に一宇を開創
J20_0551A07: す。法然寺是なり。寺宇一時廢絶せしが。慶長元年
J20_0551A08: 佐竹義重家臣田中越中守檀越となり。香譽之を再興
J20_0551A09: す。蓮勝玆に在りて念佛を事とす。遠近其德風を望
J20_0551A10: みて化を請ふ者少からず。文保年中成阿了實來り宗
J20_0551A11: 要を諮禀し。文和四年其弟子了譽聖冏も瓜連より來
J20_0551A12: りて宗義を受學す。向きに三祖禪師兩總の地に遊化
J20_0551A13: し。適適常陸に施化せられし形迹なきに非るも其事
J20_0551A14: 跡の明なるものなく。親鸞門下特り此の地に繁昌し
J20_0551A15: たるに。蓮勝始めて本宗をこの國に弘通し。自家は
J20_0551A16: 自行に急にして敎化の跡大に見るべきものなかりし
J20_0551A17: も。同州人了實。聖冏を喚起し。常總武の淨敎興隆の
J20_0551B18: 端を開きたるの功績は。宗徒の感銘して遺るべから
J20_0551B19: ざる所なり。貞治元年二月二十二日太田に示寂す。
J20_0551B20: 壽八十なりしと云ふ。
J20_0551B21: 了實は盛蓮社成阿と號す。郷族不明なるも。少年
J20_0551B22: 蓮勝の門に入りしとの傳説によれば。常陸或は其近
J20_0551B23: 國の人なるべし。即文保年中十七歳にして蓮勝に歸
J20_0551B24: し。爾來從學すること凡十三年。元德二年六月二十九
J20_0551B25: 日宗義相承の璽書を受け。玆に末山傳の正統を繼承
J20_0551B26: したるも。尚本山傳に非るを以て。後箕田定慧に從
J20_0551B27: ひ。更に本山傳法並に圓戒の相傳を受け。本山末山
J20_0551B28: の兩傳を完備したりと云ふ。爾後笈を負ひて四方に
J20_0551B29: 遊化せしが。延文三年國主佐竹義敦入道淨喜を檀主
J20_0551B30: として。當國那珂郡瓜連郷に一宇を草剏し。常福寺
J20_0551B31: と號し。法幢を玆に建つ。是より先十年貞和四年聖
J20_0551B32: 冏來り投じ弟子と成る。至德二年常福寺を聖冏に附
J20_0551B33: 屬し。寺内に隱居して一向稱名せしが。翌三年十一
J20_0551B34: 月三日寂す。壽八十有餘なりしと云ふ。

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