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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0550A01: ものにして。再建起工は天正十二年にして。榊原氏
J20_0550A02: 入城以前にありと。慶長の初年善導寺を弟子明譽阿
J20_0550A03: 山に付し。百萬遍第三十三世の住職と成る。是れ其
J20_0550A04: 師奉譽聖傳が先代なりし關係によるなり。百萬遍に
J20_0550A05: 住する數年にして之を辭し。慶長九年江戸駿河臺に
J20_0550A06: 神田山幡隨院新知恩寺を草建す。是れ京都に於ける
J20_0550A07: 舊住に因めること言ふまでもなし。此寺後本郷湯島に
J20_0550A08: 移り。後又下谷の今の地に移轉せしが。常に府内に
J20_0550A09: 於ける一方の叢林たりき。幡隨意又曾て幕命を奉じ
J20_0550A10: て長崎に赴き。耶蘇敎徒を訓誡し。捨邪歸正せしむ
J20_0550A11: るに努力したりと云ふ。晩年郷里紀伊國和歌山に歸
J20_0550A12: り萬松寺を開き。元和元年正月五日七十四歳を以て
J20_0550A13: 彼寺に寂す。
J20_0550A14: 幡隨意の門人枚擧に遑あらぎるも。阿譽隨巖。明
J20_0550A15: 譽阿山。德譽魯公。正譽意天等は注目すべき人物な
J20_0550A16: り。隨巖は幡隨院第二世の住持となり。阿山は善導
J20_0550A17: 寺第二世と成り。意天は靈巖の依囑により靈巖寺第
J20_0550B18: 二世の住持と成り。魯公は師に次ぎ百萬遍第三十四
J20_0550B19: 世たり
J20_0550B20: 以上牛秀。幡隨意は共に鎌倉檀林の法流を酌む者
J20_0550B21: にして。所謂本山傳の正統を承繼するものなれども。
J20_0550B22: 時勢は彼等を驅りて川越に赴かしめ。末山傳(聖冏
J20_0550B23: 兩傳を綜合したること下に述るが如しと雖も若本山傳
J20_0550B24: なるものあらば伽藍と結合して鎌倉にあらざるべか
J20_0550B25: らず)を感譽に禀承せしめたるなり。故に瀧山。下谷。
J20_0550B26: 館林も遂に感譽流の影響の下に立てることを否むべか
J20_0550B27: らず。
J20_0550B28: 二 太田と瓜連
J20_0550B29: 寂慧良曉の法脈が。良譽定慧。及良順聖滿を通じ
J20_0550B30: て。箕田及鎌倉に傳へられしことは前述の如し。兩寺
J20_0550B31: の中箕田は早く廢絶せしも。鎌倉は長く白旗流の總
J20_0550B32: 本寺として其法統を傳へ。之を本山傳と稱したるに
J20_0550B33: 對し。鎌倉以外に別に良曉の法脉を傳へ。宗風を一
J20_0550B34: 方に煽ける者あり。即常陸太田の蓮勝及法資瓜連了

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