浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0548A01: | 諸宗の學を研覈し。又西山九品寺等の淨土の異流を |
J20_0548A02: | も受學せしが。後鎌倉に來り良曉に謁し。又定慧に |
J20_0548A03: | 師事し宗要を聽き。文保元年支那に赴き。廬山に登 |
J20_0548A04: | り優曇普度に就きて。慧遠の宗風を傳へ。元亨元年 |
J20_0548A05: | 歸朝して堺に旭蓮社を開き。廬山風の淨敎を敷く。 |
J20_0548A06: | 嚮に二祖門下に宗圓ありて蓮社の宗風を傳へたる |
J20_0548A07: | が。此に至りて再び輸入せられ。廬山流の淨土敎は |
J20_0548A08: | 本宗に少からざる影響を與へたることと想像せらる。 |
J20_0548A09: | 應安五年七月廿五日寂す。壽九十有餘。著す所夢中 |
J20_0548A10: | 松風論十卷。及附錄一卷。淨土十勝論十四卷。同輔助 |
J20_0548A11: | 集五卷。驚覺論三卷。獅子伏象論六卷等あり。其他 |
J20_0548A12: | 酉願は業成記一卷を造り。盛蓮は始め尊觀に從ひ後 |
J20_0548A13: | 良曉に歸し。領解業成圖一卷を造りたりと傳へらる |
J20_0548A14: | (述聞口決鈔上)。然れども智演以外に左程注意すべ |
J20_0548A15: | き人物なかりしが如し。 |
J20_0548A16: | 定慧は佛蓮社良譽と號す。本宗譽號の嚆矢なり。 |
J20_0548A17: | 嘉曆三年良曉の寂後は。鎌倉箕田の祖跡に宗光を闡 |
J20_0548B18: | 揚せしが。就中箕田の興隆に努め。又多く箕田に住 |
J20_0548B19: | せしと見え。箕田定慧上人の稱あり。文和以降鎌倉 |
J20_0548B20: | 及箕田の幹事を高弟聖滿に托して。相州足柄郡桑原 |
J20_0548B21: | 郷に退き淨業を專修す。世に之を桑原道場と稱し。 |
J20_0548B22: | 其跡今淨蓮寺と號す。延文四年七月十八日。述聞口 |
J20_0548B23: | 決鈔二卷を作り。述聞鈔の意を敷演し。之を聖冏に |
J20_0548B24: | 授く。聖冏は康安元年十月七日。私の勘文を附して |
J20_0548B25: | 之を後世に貽せり。應安三年十二月二十六日七十五 |
J20_0548B26: | 歳を以て箕田に入寂し。其近郷松岡山中に埋葬す。 |
J20_0548B27: | 塔を鎌倉及桑原に置く。 |
J20_0548B28: | 定慧寂後。聖滿鎌倉箕田の兩席を兼帶せり。聖滿 |
J20_0548B29: | 圓蓮社と號し。良順は其字なり。應永十六年五月廿 |
J20_0548B30: | 六日入寂す。聖滿滅後。箕田は酉性良意之を相續せ |
J20_0548B31: | しが。永享元年九月十一日。良意入滅以後適當なる |
J20_0548B32: | 相續者を得ずして眞言宗に屬す。故に總譽淸巖が天 |
J20_0548B33: | 正中興には。箕田の南半里鴻巢に寺地を求めたり。 |
J20_0548B34: | 故に後世鴻巢勝願寺と稱して。又箕田或は松岡と云 |