浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0547A01: | 直弟南無阿彌陀佛に示す。南無又書寫して之を師の |
J20_0547A02: | 許に遣す。尊觀之を見て疑問鈔一卷を造り。十六箇 |
J20_0547A03: | 條の疑難を擧げ。弟子盛蓮房(後良曉の弟子と成る) |
J20_0547A04: | に之を示す。盛蓮師の許を得て之を良曉に呈せしか |
J20_0547A05: | ば。良曉は彼疑難を會通せんが爲に十箇條の相傳の |
J20_0547A06: | 正義を叙べて。更に一卷の書を製す。述聞鈔是な |
J20_0547A07: | り。船木郷に留ること三箇年にして鎌倉に還る。坂下 |
J20_0547A08: | 僑居は是後のことか。元應元年三祖の三十三囘忌には |
J20_0547A09: | 良曉發起と成り法會を修し。十日十座の講莚を開 |
J20_0547A10: | き。忌辰に結願論義を催し。業成問題を討論す。講 |
J20_0547A11: | 師は盛蓮房。問者は善知房。良曉は精義者にして。 |
J20_0547A12: | 名越善導寺の慈觀。惠觀等も參詣聽聞せりと云ふ。正 |
J20_0547A13: | 中二年三月十五日。述聞制文を造り。白旗名越法脉 |
J20_0547A14: | の嫡傍を論述し之を鈔の卷頭に揭げ。元亨二年十月 |
J20_0547A15: | 八日。十箇條の口傳を述べて述聞追加一卷とし。更 |
J20_0547A16: | に元亨四年九月四日。門人源淸に口授して相傳の義 |
J20_0547A17: | 三十箇條を筆記せしめ。之を述聞見聞一卷となす。此 |
J20_0547B18: | 外尚其口傳の祕決十一箇條を集めたるものを。淨土 |
J20_0547B19: | 述聞口傳切紙と名け。一卷となし世に行ふ。又念佛 |
J20_0547B20: | 安心起行略要一卷を著せりと傳へらるるも今之を見 |
J20_0547B21: | ず(述聞口決鈔上)。晩年鎌倉祖跡並に箕田の事務を |
J20_0547B22: | 高弟定慧に讓り。相州白旗郷(所在異説あれども今 |
J20_0547B23: | は一説に從ふ)に隱遁し。專修念佛を縡とせ〓が。 |
J20_0547B24: | 嘉曆三年三月朔日七十八歳(鎭流祖傳第二には七十 |
J20_0547B25: | 四歳。記主禪師行狀繪詞傳第六には七十七歳。本朝 |
J20_0547B26: | 高僧傳第十六及天保版記主傳附錄には正慶元年八十 |
J20_0547B27: | 一歳とするも。今新撰往生傳に從ふ)にて入寂す。 |
J20_0547B28: | 良曉門下には。總系譜は定慧を除き三十一人を數 |
J20_0547B29: | ふ。中に於て慧光なる者を擧げ。定慧の同胞にして |
J20_0547B30: | 藤澤山の開山とすれども。淸淨光寺は一遍四世の法 |
J20_0547B31: | 孫呑海の開く所にして。呑海に慧光の別名ありとも |
J20_0547B32: | 傳へられざれば恐らく訛誤なるべし。新撰往生傳 |
J20_0547B33: | は。和泉國堺旭蓮社開山澄圓菩薩智演が其門下に出 |
J20_0547B34: | でしことを記す。智演始は東大寺圓雅に就き出家し。 |