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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0545A01: 歸東の後群疑論探要記十四卷を著せり。但彼は後三
J20_0545A02: 祖の意に乖背したることありて。離弟せられたりと傳
J20_0545A03: へらる。其他時宗一向派の開祖俊性(號一向)も。曾
J20_0545A04: て三祖門下の人たりしと云ふ。
J20_0545A05:
J20_0545A06: 第二章 白旗正統の消長
J20_0545A07:
J20_0545A08: 一 鎌倉と箕田
J20_0545A09: 三祖門下多士濟濟たりしが。一宗の正統血脉を稟
J20_0545A10: 傳し。鎌倉箕田の師跡を相續せるは。良曉及其法孫
J20_0545A11: なり。三祖が何故に性心。尊觀。禮阿。慈心。道光
J20_0545A12: 等の諸高弟を閣き。比較的若輩なる良曉を選びて。
J20_0545A13: 附屬傳法の人とせられしかは疑問なり。或は云ふ良
J20_0545A14: 曉は三祖の肉弟なり。血肉の關係上愛顧諸弟に異な
J20_0545A15: りしかば。慈心は前に附法せられ。傳具までも授與
J20_0545A16: せられたるに拘らず。之を返却して良曉に與へられ
J20_0545A17: んことを請へりと。然れども法門の授受には決してさ
J20_0545B18: る私情偏頗を許すべきに非ず。三祖の賢明なる又決
J20_0545B19: してかかる處置に出づべき人に非ず。況んや良曉と
J20_0545B20: 三祖とは年齡に五十三の差違あり。圓尊いかに長壽
J20_0545B21: にして勢力家なりと雖も。三祖良曉兩人の父たること
J20_0545B22: 能はざるべし。故に骨肉關係が附法の原因なりしと
J20_0545B23: は信ずべからず。恐らくは良曉は年齡受學に於て諸
J20_0545B24: 高弟には遠く及ばざりしも。其爲人溫順にして師命
J20_0545B25: に違はず。其識見高邁と云ふ程に非ずと雖も。思想
J20_0545B26: 穩健にして師説を祖述するには最も適任者なりしこと
J20_0545B27: が。其主なる原因たりしなるべし。
J20_0545B28: 良曉字は寂慧。智慧光と號す。又白旗上人。坂下
J20_0545B29: 上人の稱あり。建長三年某月日誕生。文永五年十八
J20_0545B30: 歳の秋比叡山に登り。東塔南谷極樂房仙曉法印に師
J20_0545B31: 事し。翌年登壇受戒し。天台並に諸宗の敎義を研覈
J20_0545B32: す。これより以前彼が三祖といかなる關係にありし
J20_0545B33: かは不明なるも。其名に良字を冠し。また文永七年
J20_0545B34: 二十歳にして。三祖座下に招還されたりとの事實に

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