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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0542A01: 就中前三部七卷は。和字の書にして。文章優麗。義理
J20_0542A02: 精深なるが故に。三部假名帖。或は松筆御抄と稱し
J20_0542A03: て珍敬せらる。
J20_0542A04: 向阿の門下。玄心(或は玄眞)。證阿。圓寂等あ
J20_0542A05: り。玄心の弟子に證法。證法の後に敬法あり。相次
J20_0542A06: で淨華院に住す。寺傳によるに敬法は慧鎭坊貞熙僧
J20_0542A07: 全と號し。伏見天皇の皇孫にして。叡山黑谷傳信に
J20_0542A08: 就き得度受戒す。傳信は法蓮房信空。信覺房蓮空。
J20_0542A09: 求道房慧尋。惠顗房圓智を通じて。黑谷並に松林房
J20_0542A10: に於て。叡空。宗祖の圓頓戒を相承せる人なり。傳
J20_0542A11: 信に繼ぎ。黑谷並に松林房(法蓮房入寂の地)に住
J20_0542A12: し圓戒を弘通せしが。他方專修念佛の奧旨を玄心に
J20_0542A13: 受く(傳信は禮阿に受く)。後黑谷は山徒の迫害燒毀
J20_0542A14: する所となりしかば高野に遁れ。延文三年兩部灌頂
J20_0542A15: を禀傳せしが。貞治二年玄心の寂するや。門人に擁
J20_0542A16: せられて法光明院に住すること二年にして。去りて河
J20_0542A17: 東中山に柴菴を結びて居住す。至德二年證法の後を
J20_0542B18: 襲ひ淨華院の寺務を管せしが。應永五年二月九日。
J20_0542B19: 淨華院長老職を定玄に附屬し。同七年三月廿八日。
J20_0542B20: 良忍上人所傳の融通念佛を弟子良如に附與し。八十
J20_0542B21: 一歳を以て入寂す。
J20_0542B22: 良如字は智水。越前の人大町氏の子なり。初平泉
J20_0542B23: 寺に入り出家し。年長じて叡山に學びしが。後敬法
J20_0542B24: に師事して。宗要並に良忍上人の融通念佛の祕訣を
J20_0542B25: 禀承し。歸國の後敦賀西福寺。武生正覺寺等を始め
J20_0542B26: とし。越前。近江。若狹の三國に。一百餘箇の寺院
J20_0542B27: を開創し。北國淨土宗の地盤を開拓せり。定玄字は
J20_0542B28: 僧然。萬里小路家の出なり。敬法に次ぎ淨華院並に
J20_0542B29: 松林房を兼管し。又近江國坂下法藏寺を開けり。定
J20_0542B30: 玄の門下隆堯。等熈あり。共に一代の明匠たり。
J20_0542B31: 隆堯は近江國栗太郡河邊佐佐木義成の嫡男なり。
J20_0542B32: 永和三年九歳にして。叡山に登り出家受戒し。遂に
J20_0542B33: 法印大和尚位に叙せられしが。性世榮を好まず。出
J20_0542B34: 要を石山觀音に祈りて。向阿の三部假名抄を得た

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