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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0541A01: 趾には德川初年。袋中法林寺を興起し。名越の道場
J20_0541A02: となしたること上述の如し。其門下寂莫を極め。總系
J20_0541A03: 譜僅に三人を列するも。其事蹟や聞知する所なし。
J20_0541A04: 故に五派の中最振はざる派たりしを知るべし。
J20_0541A05: 四 一條派
J20_0541A06: 禮阿の法統を。一條派と稱するは。流派の本山淨
J20_0541A07: 華院の所在に基く。若禮阿の所居に從はば。西谷派
J20_0541A08: と稱すべきも。西谷は既に西山派中の一流の名なる
J20_0541A09: が故に。之と區別せん爲にかく改めしものか。
J20_0541A10: 禮阿諱は然空。郷族を詳にせず。初叡山に在りて
J20_0541A11: 永存に師事し天台を學せしが。後三祖の門に入りて
J20_0541A12: 宗要を禀けたり。彼が三祖門下に投じたる年月には
J20_0541A13: 異説あり。或は曰く寶治二年三祖石見より上洛の際
J20_0541A14: と。或は曰く文永九年慈心と共に鎌倉に來謁すと。
J20_0541A15: 而も建治二年三祖の上洛は。彼及慈心の屈請に起因
J20_0541A16: することは事實なれば。其以前にありたること疑を容れ
J20_0541A17: ず。多く仁和寺西谷法光明院に住して所承を弘通せ
J20_0541B18: しが。永仁五年八月十一日入寂す。平生述作する
J20_0541B19: 所。大經聞書八卷。淨土要略鈔。心行雜決各一卷あ
J20_0541B20: り。
J20_0541B21: 禮阿の門人數人あり。就中向阿は最も著名にし
J20_0541B22: て。禮阿の法統を隆昌したるは專ら彼の力にあり。
J20_0541B23: 向阿諱は證賢。是心と號す。初園城寺の學僧なりし
J20_0541B24: が。後淨土敎に歸し禮阿の門に入る。後淨華院を開
J20_0541B25: き所承を弘む。よりて淨華院流の稱あり。又淨華院
J20_0541B26: は最初三條に在りしを以て。三條流の名あり。後淨
J20_0541B27: 華院の今地に移るに及び。一條流と稱せらる。故に
J20_0541B28: 一條流の名が起りしは餘程後のことに屬す。後雙岡の
J20_0541B29: 東池上の邊に住し(其跡今西光菴)念佛を專にす。
J20_0541B30: 平時詠あり曰く『池上にわれたにすまは吉水のなか
J20_0541B31: れのすゑはたえしとそ思ふ』と。以て其抱負を見る
J20_0541B32: べし。貞和元年六月二日八十三歳を以て菴に寂す。
J20_0541B33: 平生著す所。歸命本願鈔三卷。西要鈔二卷。父子相
J20_0541B34: 迎二卷。及往生至要訣一卷。淨土四要義一卷あり。

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