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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0537A01: に移されたりと云ふ)に圓通寺を開く。是れ下野に於
J20_0537A02: ける名越派の本山にして。大澤檀林の淵源なり。理
J20_0537A03: 本は聖冏と交り。正流の義にも通し。藤田の流義に
J20_0537A04: は特に委しかりしが如し。彼亦聖冏と同じく宗門の
J20_0537A05: 事業家としてよりは。學者著述家を以て自任し。此
J20_0537A06: 方面に於て派風を煽起すること大なりしが如し。其
J20_0537A07: 著述には望西見聞八卷。往生要集記見聞八卷。十六
J20_0537A08: 箇條疑問答見聞四卷。決答疑問鈔見聞二卷。傳通記
J20_0537A09: 見聞廿六卷。授手印口筆。法事讚記見聞三卷。往生
J20_0537A10: 禮讚記見聞三卷。般舟讚記見聞一卷。觀念法門記見
J20_0537A11: 聞二卷。註記見聞五卷。決疑鈔見聞十卷。宗要見聞
J20_0537A12: 十卷。安樂集見聞二卷等あり。此等は多く見聞と稱
J20_0537A13: するが故に。普通大澤見聞。或は良榮見聞と稱す。
J20_0537A14: 中に於て。藤田持阿の著書に刪補を加へて。自著と
J20_0537A15: したるもの少からざること前述の如しと雖も。別に
J20_0537A16: 一家の見を持し。必しも剽窃を以て滿足せざりしこ
J20_0537A17: とは。其書の内容に見て知るべし。理本は聖冏に後
J20_0537B18: るること四年。應永三十年六月八十二歳を以て寂
J20_0537B19: す。
J20_0537B20: 理本の法孫は非常に繁茂して。先師乃祖の諸法孫
J20_0537B21: を壓倒し。圓通寺は勿論。如來寺・專稱寺・成德寺
J20_0537B22: 等の諸大寺を奄有し。奧羽野州に於ける各地の布
J20_0537B23: 敎。寺院興立等も多く彼等の手により成就せられた
J20_0537B24: るが故に。後世名越派を又大澤流と稱する場合少か
J20_0537B25: らず。
J20_0537B26: 名越派。或は大澤流は。主として奧羽野常等の東
J20_0537B27: 北の地に滋蔓し。本宗分布圖の一角に據有するに過
J20_0537B28: ぎざりしが。元龜天正の交より關西に法翼を振ふ者
J20_0537B29: を輩出したり。即理本九代の法孫にして。圓通寺中興
J20_0537B30: 十世性海良迦の弟子に道殘あり。道殘源立と稱し。
J20_0537B31: 然蓮社良智と號す。性海に嗣法の後。天下を周遊
J20_0537B32: し。越前國敦賀に至るや。西福寺亮叡。其學解德操
J20_0537B33: を欽び。延いて寺の補處となす。寺は應安年中良如
J20_0537B34: 智水の開くところ。良如は下に述ぶるごとく淨華院

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