浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0537A01: | に移されたりと云ふ)に圓通寺を開く。是れ下野に於 |
J20_0537A02: | ける名越派の本山にして。大澤檀林の淵源なり。理 |
J20_0537A03: | 本は聖冏と交り。正流の義にも通し。藤田の流義に |
J20_0537A04: | は特に委しかりしが如し。彼亦聖冏と同じく宗門の |
J20_0537A05: | 事業家としてよりは。學者著述家を以て自任し。此 |
J20_0537A06: | 方面に於て派風を煽起すること大なりしが如し。其 |
J20_0537A07: | 著述には望西見聞八卷。往生要集記見聞八卷。十六 |
J20_0537A08: | 箇條疑問答見聞四卷。決答疑問鈔見聞二卷。傳通記 |
J20_0537A09: | 見聞廿六卷。授手印口筆。法事讚記見聞三卷。往生 |
J20_0537A10: | 禮讚記見聞三卷。般舟讚記見聞一卷。觀念法門記見 |
J20_0537A11: | 聞二卷。註記見聞五卷。決疑鈔見聞十卷。宗要見聞 |
J20_0537A12: | 十卷。安樂集見聞二卷等あり。此等は多く見聞と稱 |
J20_0537A13: | するが故に。普通大澤見聞。或は良榮見聞と稱す。 |
J20_0537A14: | 中に於て。藤田持阿の著書に刪補を加へて。自著と |
J20_0537A15: | したるもの少からざること前述の如しと雖も。別に |
J20_0537A16: | 一家の見を持し。必しも剽窃を以て滿足せざりしこ |
J20_0537A17: | とは。其書の内容に見て知るべし。理本は聖冏に後 |
J20_0537B18: | るること四年。應永三十年六月八十二歳を以て寂 |
J20_0537B19: | す。 |
J20_0537B20: | 理本の法孫は非常に繁茂して。先師乃祖の諸法孫 |
J20_0537B21: | を壓倒し。圓通寺は勿論。如來寺・專稱寺・成德寺 |
J20_0537B22: | 等の諸大寺を奄有し。奧羽野州に於ける各地の布 |
J20_0537B23: | 敎。寺院興立等も多く彼等の手により成就せられた |
J20_0537B24: | るが故に。後世名越派を又大澤流と稱する場合少か |
J20_0537B25: | らず。 |
J20_0537B26: | 名越派。或は大澤流は。主として奧羽野常等の東 |
J20_0537B27: | 北の地に滋蔓し。本宗分布圖の一角に據有するに過 |
J20_0537B28: | ぎざりしが。元龜天正の交より關西に法翼を振ふ者 |
J20_0537B29: | を輩出したり。即理本九代の法孫にして。圓通寺中興 |
J20_0537B30: | 十世性海良迦の弟子に道殘あり。道殘源立と稱し。 |
J20_0537B31: | 然蓮社良智と號す。性海に嗣法の後。天下を周遊 |
J20_0537B32: | し。越前國敦賀に至るや。西福寺亮叡。其學解德操 |
J20_0537B33: | を欽び。延いて寺の補處となす。寺は應安年中良如 |
J20_0537B34: | 智水の開くところ。良如は下に述ぶるごとく淨華院 |