浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0536A01: | し。此寺奧州名越派一方の檀林として學徒の淵叢な |
J20_0536A02: | りしが。慶長元年。淺見川村高倉山城主猪狩下野守 |
J20_0536A03: | 伊達家へ隨仕の時。寺僧之に隨從して信夫郡に去り |
J20_0536A04: | て廢絶し。新邑主大塚氏其趾に東漸寺を建立したる |
J20_0536A05: | により。數年後良薰寺名を今地に再興せしも。又舊 |
J20_0536A06: | 時の盛觀なきに至れり。應安二年六月朔日折木に寂 |
J20_0536A07: | す。世壽八十一歳と傳へらるるも。師妙觀よりも四 |
J20_0536A08: | 才或は六才の年長者なりとは考へられず。故に師の |
J20_0536A09: | 年と同じく舛誤あるものの如し。其著書には領解見 |
J20_0536A10: | 聞。同口筆。式掟授決抄。果分考文抄末疏。口傳 |
J20_0536A11: | 抄・略論見聞・題額見聞・開題見聞・良天口筆・選 |
J20_0536A12: | 擇口筆見聞等あり。 |
J20_0536A13: | 十聲又證賢と稱し。字は良就。成蓮社と號す。又 |
J20_0536A14: | 別に榮傳の名ありしこと下に擧ぐる臺座裏書に見るべ |
J20_0536A15: | し。山城國八幡の人にして。妙觀に從ひ宗要を學 |
J20_0536A16: | び。後如來寺の西方に專稱寺を剏む。專稱寺の開創 |
J20_0536A17: | は或は應永二年とするも。實は其より以前なるが如 |
J20_0536B18: | し。即同寺本尊如來臺座裏書に『好島庄山崎村梅福 |
J20_0536B19: | 山專稱寺一光三尊如來奉修覆願主期淨國榮傳十聲上 |
J20_0536B20: | 人眞筆寫申候同大工次郞兵衞入道至德元年甲子霜月 |
J20_0536B21: | 云云』とあり。至德元年は應永二年に先つ十一年な |
J20_0536B22: | り。應永三十四年十一月廿四日。七十九歳を以て寂 |
J20_0536B23: | せしと云ふ。專稱寺は後大澤良榮の法孫入りて相續 |
J20_0536B24: | し。第六世仰觀良大に至り。寺の規模を擴張し。永 |
J20_0536B25: | 正年中後柏原天皇より敕願所の額を賜はり。如來寺 |
J20_0536B26: | より本山檀林の資格を奪ひ。德川時代に至りては。 |
J20_0536B27: | 大澤圓通寺と相並びて名越檀林と稱せらる。 |
J20_0536B28: | 聖觀の法資に理本あり。字は良榮。高蓮社と號 |
J20_0536B29: | す。名越第五代の法嗣にして。又斯流の中興者な |
J20_0536B30: | り。康永元年(聖冏誕生の翌年)奧州磐前郡小川村に |
J20_0536B31: | 生れ。石川冠者光之が後裔なりと云ふ。初喜圓良尊 |
J20_0536B32: | に投じて出家したるも。後聖觀の門に入りて嗣法 |
J20_0536B33: | す。應永九年六十一歳にして下野國芳賀郡大澤村 |
J20_0536B34: | (寺傳には初船橋郷に開かれしが永祿二年今の大澤 |