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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0535A01: ならざるも。翌正中元年三月には尚此に在りしこと。
J20_0535A02: 涇渭分流集所引の彼の筆記文に見るべし。『問答等鎌
J20_0535A03: 倉慈觀和尚意也委細可考經釋之旨勿擧私情正中
J20_0535A04: 元年三月十三日南大門談義所申時計口筆良山春秋三
J20_0535A05: 十二後見念佛十遍』と是なり。是より先元亨二年。
J20_0535A06: 山名行阿の請に應じ。奧州矢ノ目(磐城國石城郡夏
J20_0535A07: 井村山崎)に如來寺を開きしが。信濃より歸りて
J20_0535A08: 後。此に其流義を弘通す。是奧州に於ける淨土宗特
J20_0535A09: に名越派流行の淵源なり。故に妙觀は奧羽淨土宗の
J20_0535A10: 開拓者にして。如來寺は其本山として十七代に及び
J20_0535A11: しが。永正年中專稱寺繁昌し。遂に之に本山檀林の
J20_0535A12: 資格を讓り。本寺却て末院たるの奇觀を呈せり。妙
J20_0535A13: 觀の著書は決疑鈔裏書。題額集六卷。開題考文鈔三
J20_0535A14: 卷。同口筆一卷。果分述傳初心示六端明中抄。十劫成
J20_0535A15: 道口筆。略論裏書。十六箇條口筆。選擇口筆。四部
J20_0535A16: 口筆。彌陀授記。經藏本尊行法次第。三國傳記。黑
J20_0535A17: 衣相傳。玄義口筆。果分考文抄助證。口傳抄。疑問
J20_0535B18: 抄掟條等なり。派祖尊觀。二世明心の著書と合し
J20_0535B19: て。此等を一函に藏めて相傳の祕書とし。其函を月
J20_0535B20: 形函と稱し。如來寺の重寶となせしと云ふ。康安元
J20_0535B21: 年六月十六日に寂す。世壽は上揭分流集の所記によ
J20_0535B22: れば六十九なれども。月形凾藏果分不可説の奧書に。
J20_0535B23: 『貞和二年八月比一室同朋夜中に但二人して此相傳
J20_0535B24: 祕而談話の時令問彼人其時良山不答之後令考今
J20_0535B25: 義于時春秋五十二良山在判』とあるによれば。六十
J20_0535B26: 七歳を越ゆること能はず。而して四流六派梗概(安田健
J20_0535B27: 導著芹葉集收)に八十歳とあるは誤なるべし。
J20_0535B28: 妙觀の門下には。聖觀。十聲最も聞ゆ。聖觀字は
J20_0535B29: 良天。眞蓮社法阿と號す。下總源氏某の子。妙觀に
J20_0535B30: 師事して嗣法せる後。四方に遊化せしが。元德二年
J20_0535B31: 奧州楢葉郡折木(磐城國雙葉郡廣野村折木)に成德寺
J20_0535B32: を開く。成德寺又折木談所と號す。如來寺月形函開
J20_0535B33: 題考文抄跋に。『應永五年戊寅小楢葉折木談所書之
J20_0535B34: 筆者通慶覺天生年三十五才』とあるによりて知るべ

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