浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0534A01: | 弘通したり。其流義を名越派。或は善導寺流と稱す |
J20_0534A02: | るは是に因づく。其名越に住するに至りしは。盖血 |
J20_0534A03: | 族の關係によるものならんか。後安養院の名越に移 |
J20_0534A04: | るや。善導寺は之に合したりと見え。尊觀は安養院 |
J20_0534A05: | 第三世とせられ。安養院は後世鎌倉に於ける斯流の |
J20_0534A06: | 本山となれり。彼一念業成義を立てて。三祖滅後屢 |
J20_0534A07: | 白旗寂慧と議論を戰はし。正和三年寂慧の口傳鈔を |
J20_0534A08: | 造るや。彼は其翌年十一月。十六箇條の疑問並に五 |
J20_0534A09: | 箇條の決答を附錄として。淨土十六箇條疑問答一卷 |
J20_0534A10: | となし。寂慧を難破し自義を出張せり。其他迷悟問 |
J20_0534A11: | 答鈔。四家大乘論義。群蒙樹動集等の著述ありと云 |
J20_0534A12: | ふ。正和五年三月十四日。七十八歳を以て寂す。彼 |
J20_0534A13: | は多く鎌倉に住し。若干の門徒を聚めて其所承を敎 |
J20_0534A14: | 授したる外。他に遊化或は活動したる形迹なし。然 |
J20_0534A15: | れども其門下法孫に俊傑多く。三祖門下の五派中に |
J20_0534A16: | は最も隆盛を極めたり。 |
J20_0534A17: | 尊觀門下の上足に慈觀。慧觀。明心あり。慈觀字 |
J20_0534B18: | は良嚴。名越宗要一卷を著す。慧觀字は良然。澆末 |
J20_0534B19: | 無證論一卷を作る。此兩人は共に鎌倉に在住したり |
J20_0534B20: | と見え。元應元年三祖三十三回の忌辰に方り。佐介 |
J20_0534B21: | 谷に於ける講論の際には彼等も出席したりと云ふ |
J20_0534B22: | (述聞口決上、疑問答見聞一)。明心字は良慶。月形 |
J20_0534B23: | 房と號す。幼時近江國石山寺に出家し。後尊觀に從 |
J20_0534B24: | ひ淨土敎を學ぶ。後信濃善光寺南大門に赴き。流義 |
J20_0534B25: | を弘宣し。且心具不生の異義を立つ。師尊觀之を聞 |
J20_0534B26: | き此玉疵哉と評し。後鎌倉慈觀。善光寺參詣の序でに |
J20_0534B27: | 之につき問答對辨したるも。別に呵責を加へざりし |
J20_0534B28: | と云ふ(涇渭文流集)。建武三年六月廿七日。六十八 |
J20_0534B29: | 歳を以て寂す。著書果分不可説一卷あり。 |
J20_0534B30: | 明心の門下に妙觀あり。高蓮社良山と號し。奧州石 |
J20_0534B31: | 川郡の人なり。始め密敎を學びしが。後淨土に歸す。 |
J20_0534B32: | 明師に就き弘願の要旨を探らんとして。元亨三年信 |
J20_0534B33: | 州に赴き善光寺如來に祈請して靈告を感じ。遂に明 |
J20_0534B34: | 心に師事するに至れり。其善光寺に留りし年月は明 |