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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0531A01: (今猿島郡)小福田に無量壽寺を開き。寺中に土塔を
J20_0531A02: 造りて相傳の祕書を藏す。故に人其流を土塔派と呼
J20_0531A03: びしと云ふ。又郷里藤田(今寄居町末野)に善導寺を
J20_0531A04: 開き。武藏に於ける流義弘通の中心とせり。此等の
J20_0531A05: 外。無量壽寺の近傍には。櫻井村下大野正定寺。長
J20_0531A06: 田村西泉田西光寺。森戸村伏木專修寺。猿島村内門
J20_0531A07: 大翁寺あり。善導寺の近邊には。用土村用土蓮光
J20_0531A08: 寺。花岡村武藏野常光寺あり。上野國邑樂郡中野村
J20_0531A09: 神光寺あり。此れ等は皆持阿を以て開山となす。以
J20_0531A10: て彼が寺院の開創經營に努力したるの一端を想像す
J20_0531A11: べし。かく彼は事業家たりしのみならず。三祖の著
J20_0531A12: 書に種種の註釋を施せり。即傳通記受決鈔十八卷。
J20_0531A13: 決疑鈔見聞十卷。往生論註記見聞五卷。授手印決答
J20_0531A14: 受決鈔二卷。往生十因糅要鈔三卷等是なり。此等を
J20_0531A15: 藤田見聞。或は持阿見聞と稱す。然るに後年名越法
J20_0531A16: 孫大澤良榮。此等の多くを刪補修正したるにより。
J20_0531A17: 良榮見聞。或は大澤見聞として世に行はるるに至れ
J20_0531B18: り。是前に述べし如く。良心が尊觀に受法したる事
J20_0531B19: 實に關聯する所あるべく。かくして藤田派は後に名
J20_0531B20: 越派と親密なる關係を結び。名越傳法中別に藤田の
J20_0531B21: 傳法ある所以なるべし。元亨三年六月五日寂す。
J20_0531B22: 持阿の弟子に持名あり。持名の弟子に唱名あり。
J20_0531B23: 相繼ぎて高聲寺に住したり。唱名の弟子に善忠。敎
J20_0531B24: 藏。理覺。感誓あり。善忠は上生寂翁と號し。貞和
J20_0531B25: 五年三河國渥美郡今橋(吉田今豐橋)に悟眞寺をひら
J20_0531B26: き所承を弘通し。應永二年八月二十八日寂せしが。
J20_0531B27: 其近傍に於ける感化甚大なりしが如し。敎藏は慈智
J20_0531B28: 翁と號し。文和四年武藏國埼玉郡三俣龍藏寺を開
J20_0531B29: き。明德元年正月二日に寂せり(總系譜)とするも
J20_0531B30: のあるも誤にして。彼は後善忠に次ぎ悟眞寺第二世
J20_0531B31: の住持と成り。應永十六年尚存命せしを證するもの
J20_0531B32: あり。即御津神社古經卷の奧書に。於三州今橋悟
J20_0531B33: 眞寺住持比丘慈智翁中略應永十六年十二月廿九日申
J20_0531B34: 刻畢(地名辭書)とある是なり。理覺は下總國猿島

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