浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0530A01: | 信空の位置にありし人とも云ふべきなり。而も後に |
J20_0530A02: | 至りては祖跡の相續者たる能はざりしのみならず。 |
J20_0530A03: | 法脉相承の上にも。慈心良曉の爲に先んぜられし所 |
J20_0530A04: | 以のものは。甚怪むべきに似たりと雖も。其人物信 |
J20_0530A05: | 仰に於て。三祖と相容れざりしものありしを想はざ |
J20_0530A06: | るべからず。 |
J20_0530A07: | 遮莫。三祖入滅の翌年。即正應元年。彼は下總國 |
J20_0530A08: | 猿島郡岩井に高聲寺を開き。其義を弘通せり。總系 |
J20_0530A09: | 譜には岩井を藤田庄にあり。故に其流義を藤田派と |
J20_0530A10: | 稱する由を記するも。下總に藤田庄名ありしや疑は |
J20_0530A11: | しきのみならず。藤田派の稱は彼の生地にして。且 |
J20_0530A12: | 同派二世持阿の此に住し。善導寺を開き其流義を弘 |
J20_0530A13: | 通したることは。次に記する如くなれば。寧武藏國藤 |
J20_0530A14: | 田郷に起因せりとするを穩當とすべし。又此派を秩 |
J20_0530A15: | 父派と稱することあり。秩父は藤田と接し。藤田氏の |
J20_0530A16: | 領所内に含まれ。藤田氏を秩父藤田と稱せしと云へ |
J20_0530A17: | ば(地名辭書)。性心の流義にも之を適用したるなる |
J20_0530B18: | べし。又性心を水沼上人と稱す(授手印決答見聞同 |
J20_0530B19: | 受決鈔奧書)。水沼は秩父の内なりと云へば(聖聰註 |
J20_0530B20: | 記見聞一)。藤田と同處或は其近所なるべく。而し |
J20_0530B21: | て彼は此所にも住したるものなるべし。其の著述は |
J20_0530B22: | 若干卷ありしと傳ふるも。現存するは授手印決答見 |
J20_0530B23: | 聞のみなるが如し。性心は藤田派の開祖なるも。之 |
J20_0530B24: | を大成擴張したるは其法嗣良心なり。 |
J20_0530B25: | 良心字は持阿彌陀佛。或は單に持阿と稱す。或は |
J20_0530B26: | 持阿と性心を混同し同一人とするものあり。鎭流祖 |
J20_0530B27: | 傳の如き其一なるも。別人にして決して同一人にあ |
J20_0530B28: | らず。彼は武藏國藤田郷(總系譜下總州藤田の人な |
J20_0530B29: | りと云ふも下總に藤田なきは上述の如くなれば恐ら |
J20_0530B30: | く誤ならん)の産にして。藤田小太郞刑部行重の子 |
J20_0530B31: | なり。弱齡同郷同族の關係よりして性心の弟子と成 |
J20_0530B32: | り。弘安六年名越尊觀に就き宗乘を學び。同九年上 |
J20_0530B33: | 洛して親しく三祖の示敎を受けしが。三祖滅後性心 |
J20_0530B34: | に嗣法し。後高聲寺第二世と成る。又下總國葛飾郡 |