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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0529A01: 第二期 持續時代
J20_0529A02:
J20_0529A03: 第一章 三祖門下の異流
J20_0529A04:
J20_0529A05: 三祖門下に於て頭角を顯し。主張に多少の特色を
J20_0529A06: 有し。若干の衆を領して一方に割據せる者六人あ
J20_0529A07: り。即良曉。性心。尊觀。道光。然空。慈心是な
J20_0529A08: り。中古以來宗祖門下の四流に倣ひ。之を三祖門下
J20_0529A09: の六派と稱す。即ち
J20_0529A10: 關東三派 良曉―白旗派 性心―藤田派 尊觀―名越派
J20_0529A11: 京畿三派 道光―三條派 然空―一條派 慈心―木幡派
J20_0529A12: なり。然れども正統鎭西を宗祖門下の異流とするの
J20_0529A13: 妥當ならざるが如く。正統白旗は當然異流より區別
J20_0529B14: すべきが故に。異流としては性心以下の五人の流派
J20_0529B15: を算ふべきなり。
J20_0529B16: 一 藤田派
J20_0529B17: 派祖性心(或は性眞に作る)は。性阿(或は唱阿)
J20_0529B18: と號し。武藏國藤田郷(今埼玉縣大里郡寄居町地方)
J20_0529B19: の領主。藤田民部丞利貞の息なり。初叡山に登りて
J20_0529B20: 出家し台學を研究せしが。後三祖に歸依し淨土門を
J20_0529B21: 修學せり。彼が三祖に歸したる因縁と年月とは不
J20_0529B22: 明なるも。其下總敎化中のことなりしは明なり。即福
J20_0529B23: 岡飯岡に於て傳通記講述の際には。彼は始終講席に
J20_0529B24: 侍り之を筆記せり。而して此筆記を三校一覆せられ
J20_0529B25: たるものが。今日の傳通記なり。故に當時既に彼の
J20_0529B26: 三祖門下に於ける位置相當に高かりしを見るべし。
J20_0529B27: 三祖の鎌倉移錫の際にも。理眞。明阿等と共に隨從
J20_0529B28: し。困厄の裡にも絶えず給仕して受學聽法したるが
J20_0529B29: 如し。されば三祖に隨從の年月より云へば。六人中最
J20_0529B30: も古參の門下にして。恰も宗祖門下に於ける法蓮房

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