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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0524A01: が極樂寺に住したりと云ふ(傳燈總系譜下)が如き。
J20_0524A02: 宗祖の化風が鎌倉に於て三祖以前に業に已に洽かり
J20_0524A03: しを察すべきなり。
J20_0524A04: 三祖が下總を去り鎌倉に移住せられしには。種種
J20_0524A05: の事情ありしを前に述べしも。其根本原因は上に述
J20_0524A06: べし如き。諸宗の人師と同く。政治中心たる此地に
J20_0524A07: 一宗の根柢を定むることの必要を認めたるによるなる
J20_0524A08: べし。
J20_0524A09: 三祖鎌倉移住の年は不明なるも。正嘉二年三月六
J20_0524A10: 十歳以後のことなるは傳通記述作の歷史に徴して疑ふ
J20_0524A11: 可らず。移住の際隨從せる門弟は。性心。理眞。明
J20_0524A12: 阿等の關東人。及西國有志の學徒若干人にして。鎌倉
J20_0524A13: に入るに先ち玉繩(高座郡大船驛の西)に一泊し。鎌
J20_0524A14: 倉に入りては最初に慈恩(或は慈忍と云ふ)房の菴室
J20_0524A15: を訪問す。是慈恩房は三祖下總在住の頃。其名を聞き
J20_0524A16: 一兩度音信を通し文書上の知己なりしが故なり。然
J20_0524A17: ども彼は三祖並に其門弟に衣食を支給する程の力あ
J20_0524B18: りし者に非りしが故に。彼は三祖を伴ひて大佛の勸
J20_0524B19: 進淨光聖人の所に至り其援助を請ふ。聖人は曆仁元
J20_0524B20: 年八丈阿彌陀佛大像建立の大願を發し。寬元元年六
J20_0524B21: 月に至り堂宇佛像成就して。十六日落慶供養を執行
J20_0524B22: せしこと東鑑に見ゆるも。其造作莊嚴等は之を完成す
J20_0524B23: ること容易ならざりしと見え。三祖を供養して講肆を
J20_0524B24: 開張せしむるには賛成なりしも。只僅に一宇の坊を
J20_0524B25: 造り其居所に充て。師弟四人の食糧を供養せられし
J20_0524B26: のみ。故に極親密なる門弟のみ其坊に同居し。他は鎌
J20_0524B27: 倉市中に散在し。小家を造り賣買を營みて衣食の資
J20_0524B28: に充て。辛くにして講莚に侍しえたるものの如し。か
J20_0524B29: くて大佛に止住せしこと幾年なりしかは不明なるも。
J20_0524B30: 後神六入道と云ふ者。無常堂に菴室を造り。此に上
J20_0524B31: 人を請し法談を聞けりと云ふ(決答受決鈔)も。神六
J20_0524B32: 入道の爲人も無常堂の所在も明ならず。或は北條經
J20_0524B33: 時の佐佐目谷の墳墓にあらざるか。光明寺傳に經時
J20_0524B34: と三祖との關係を云云するも。又此と關係する所あ

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