浄土宗全書を検索する
AND検索:複数の検索語をスペースで区切って入力すると、前後2行中にそれらを全て含む箇所を検索します。
巻_頁段行 | 本文 |
---|---|
J20_0521A01: | の卷數は種種ありしが如し。然るに此書最初の稿本 |
J20_0521A02: | は。傳通記散記三に。仰去康元二年丁巳三月二十一日 |
J20_0521A03: | 於下總光明寺始書正嘉二年戊午三月二十九日於同 |
J20_0521A04: | 國西福寺終功とあり。受決鈔も飯岡始之福岡終之 |
J20_0521A05: | とすれども。其始の月は稍異なり。即ち從初春比 |
J20_0521A06: | 始興起傳通記とあり。惟ふに受決鈔は講義開始を |
J20_0521A07: | 記し。傳通記は講錄整頓の初を記せしものならん。 |
J20_0521A08: | 決疑鈔。傳通記の外。尚下總滯在中に若干の著述あ |
J20_0521A09: | りしが如し。即決疑鈔と同年十月。江禪門の請に應 |
J20_0521A10: | じて三心私記を著し。傳通記講述中。上總周東郡在 |
J20_0521A11: | 阿の請に應じて。授手印決答疑問鈔二卷を著はせ |
J20_0521A12: | り。尚受決鈔によるに。康元二年七月頃相模國石川 |
J20_0521A13: | (大庭御厨内郷)禪門道辨の請に應じて彼地に赴き。 |
J20_0521A14: | 十四五日間滯在せりと云ふ。 |
J20_0521A15: | (三) 鎌倉 |
J20_0521A16: | 源賴朝天下の政權を掌握し。幕府を鎌倉に開く |
J20_0521A17: | に及び。政治の中心が玆に移ると共に。佛敎諸宗も |
J20_0521B18: | 漸くその下に馳參し。勢力をここに扶植するに腐心 |
J20_0521B19: | せり。天台。眞言等の諸宗は祈禱の事務を擔當し。 |
J20_0521B20: | 鶴岡別當を始め重要の位置を占有し。臨濟榮西禪師 |
J20_0521B21: | の如きも。京都に在りて南都北嶺の壓迫に困まんよ |
J20_0521B22: | りは。此等舊勢力の比較的薄弱なる鎌倉において。 |
J20_0521B23: | 新宗を弘布するの容易にして且つ有利なるに著眼 |
J20_0521B24: | し。夙に此地に入りて賴家。政子等の歸仰を得。壽福 |
J20_0521B25: | 寺の成るや請せられて開山となり。爾後鎌倉に於け |
J20_0521B26: | る禪宗旺盛の礎地を造れり。宗祖門下にも此に著目 |
J20_0521B27: | して。早く念佛の弘通を試みたる者少からず。又鎌 |
J20_0521B28: | 倉武士の京都守衞の間を偸み。宗祖門下に出入し熱 |
J20_0521B29: | 心なる念佛信者となりて。其信仰を歸國の後郷黨の |
J20_0521B30: | 間に皷吹したる者多數なりしを以て。宗祖自身は此 |
J20_0521B31: | 地に遊化せられざりしも。其敎訓は開宗後數年を出 |
J20_0521B32: | でずして。鎌倉を中心として關東諸國に流行を見る |
J20_0521B33: | に至れり。 |
J20_0521B34: | 東鑑建久五年五月二日の項に。由比浦邊漁父今晩 |