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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0520A01: むなきに至れり。於是三祖も千葉支族の賴み難く。
J20_0520A02: 兩總敎化も容易ならずとして。遂に鎌倉に移住せし
J20_0520A03: なるべし。
J20_0520A04: 受決鈔によるに。福岡に於て椎名八郞入道は。坊
J20_0520A05: 一宇。田一町を寄附したるも。後屢三祖より借金を
J20_0520A06: なし。結局。坊宇田地を賣付けたる結果を呈した
J20_0520A07: るを以て。三祖も歉焉の情にたへざりし際。荒見彌
J20_0520A08: 四郞は飯岡に於て。一町五段の田地を寄附し。猶不
J20_0520A09: 斷念佛の料として三町の田地を寄附すべきを約束し
J20_0520A10: たるを以て。三祖は大に喜び其請に應じ。舊家を破
J20_0520A11: 壞し假御堂を造り。大門の左右に六箇の坊地を分
J20_0520A12: ち。大寺の規模を立てられ。門弟中性心。釋阿彌陀
J20_0520A13: 佛の如きは。直に其坊地に菴室を建立せり。三祖は約
J20_0520A14: 束の地を不斷念佛の時衆に分配せんとせしも。下種
J20_0520A15: 時に至り尚約束の履行なく。門弟乘圓理眞の從父舅
J20_0520A16: たる蓮光房と云ふ者の言に從ひ。地主政所等に賄賂
J20_0520A17: を贈與せしも。尚施主は約束を履行せざりしかば。
J20_0520B18: 遂に此地を去るの決心をなせしものなりと云ふ。
J20_0520B19: 三祖一代に於ける。最重要なる著書たる決疑鈔及
J20_0520B20: 傳通記の二書は。孰も其草案を下總敎化中に造られ
J20_0520B21: たるものなり。決疑鈔は建長六年八月。鏑木胤定の
J20_0520B22: 勸請により起稿せしこと。其序文。直牒。大澤見聞等の
J20_0520B23: 記する所により明なり。即決疑鈔序文に。談語之次賓
J20_0520B24: 客勸云若不染翰叵納心府且示一隅早叩三端此
J20_0520B25: 公特授精靈歸心正法家雖繼脂兵車之跡身猶訪
J20_0520B26: 艤法船之路因有請焉中略建長六年仲秋上旬始添
J20_0520B27: 露點漸作艸篇云爾と。直牒一に賓客者師仰云是千
J20_0520B28: 葉一門鏑木九郞入道法名在阿云者有之當流相傳慥聞無二
J20_0520B29: 心歸依餘依請此鈔於下總國鏑木此鈔被書云云。
J20_0520B30: 傳通記が屢屢校正せられ。又改定せられしことは。
J20_0520B31: 糅鈔序文に。三校一覆符師傳三十滿迴決所記と云
J20_0520B32: ふに徴して知るべし。故に福岡廿五帖鈔。足立鈔等の
J20_0520B33: 異本あり。現今世に流布する所の本は。建治元年に
J20_0520B34: 重ねて治定せられたる十五卷傳通記なるも。其以前

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