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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0517A01: り。誰人も首肯する所なるべし。三祖をして筑紫に
J20_0517A02: 赴き。二祖に謁せしめたる。直接の原因は生佛の物
J20_0517A03: 語なるも。生佛の西下が善光寺如來の敕告によるを
J20_0517A04: 思はば。三祖相承の間接。否根本原因は如來の敕告
J20_0517A05: にありと云はざるべからず。這回の參詣は實に此佛
J20_0517A06: 恩報謝の爲なりと見ざるべからず。
J20_0517A07: 善光寺に於ては。或人の屈請に應じて四十八日間
J20_0517A08: 善導の觀經疏を講説せり。該疏は前に述べし如く本
J20_0517A09: 宗開立の根源なり。宗祖一代敎化の依憑とせられし
J20_0517A10: 所なり。而して三祖が東國敎化の二十九年間。最も
J20_0517A11: 精力を盡して講説せし書物なりき。此書の講演を東
J20_0517A12: 國遊化の首途に。或人の懇請したること偶然なるが如
J20_0517A13: くにして決して然らざるに似たり。善光寺滯在が四
J20_0517A14: 十八日講演後幾何なりしか。又信濃國内に於ける敎
J20_0517A15: 化が奈邊に及びしか。今殆んど之を知るに由なし。
J20_0517A16: 唯寺院名鑑により之を見るに。三祖を開山とする寺
J20_0517A17: 院。國内二三に止まらず。即ち上氷内郡長沼村大町
J20_0517B18: 善導寺。更級郡稻荷山町極樂寺。更級郡御厨村法藏
J20_0517B19: 寺更級郡村土村上五明西敎寺等是なり。想ふに善光
J20_0517B20: 寺參詣講説の後。尚暫く其近傍を敎化し。更級郡の
J20_0517B21: 各地を遊化しつつ。上野國に路程を進めたるに非る
J20_0517B22: か。信濃を去り。路を上野下野に取り。途中諸處に
J20_0517B23: 施化しながら。下總に到り此に東國敎化の基礎を定
J20_0517B24: められたるものの如し。
J20_0517B25: 是より先き。成覺房幸西が下總栗原郷に赴き。敎
J20_0517B26: 化を試みたりとの傳説あるも。其以外宗祖或は二祖
J20_0517B27: 門下にして。兩總の地に敎化したる者あることを聞か
J20_0517B28: ず。然れども國司千葉胤賴は甞て宗祖の化を蒙り入
J20_0517B29: 道して法阿と號し。嘉祿三年の法難には宇都宮。鹽
J20_0517B30: 屋。澁谷。頓宮等の武家入道と共に。宗祖の遺骸を
J20_0517B31: 保護したることあり。此因縁によるものか。千葉氏の宗
J20_0517B32: 家支族多く本宗に歸依せり。三祖の下總上總の敎化
J20_0517B33: も千葉氏の懇請外護によること少からざりしが如し。
J20_0517B34: 今日千葉縣下に三祖を開山とする寺院は。香取郡豐

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