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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0516A01: 義校合の一事を除きては。全く傳聞する所なし。蓮
J20_0516A02: 寂との校合のことは。敕修傳四十六には『文永の頃』
J20_0516A03: とするも。此時のこととするが隱當なるが如し。何と
J20_0516A04: なれば。かかる好機會を逸し。空しく二十年後に至
J20_0516A05: て。宗義校合の如き大事を成すべからざればなり。
J20_0516A06: 遮莫。法蓮房信空は是より先二十年。安貞二年九月
J20_0516A07: 九日入寂し。勢觀房源智も亦二祖と同年。嘉禎四年
J20_0516A08: 十二月十二日西化し。京都に於ける宗祖門下は。漸
J20_0516A09: 漸に落謝し。僅に乘願房・念佛房・正信房等數人を餘
J20_0516A10: すのみ。此等門弟も極めて頽齡にして。餘命幾ばく
J20_0516A11: も期すべからず。於是三祖は勢觀房の弟子蓮寂と宗
J20_0516A12: 義校合の事を思ひ立ち。東山赤築地に於て。四十八
J20_0516A13: 日の別時念佛を修行し。蓮寂と兩流の義を比較した
J20_0516A14: るに。全く符合一致したるにより。蓮寂は鎭西の義
J20_0516A15: を以て己流と定め。法孫に於て別に流義を立つ可ら
J20_0516A16: ざるの旨を宣言せりと云ふ。淨意尼深く三祖に歸依
J20_0516A17: し。檀那を募り資具を備へて。後顧の憂なからしむ
J20_0516B18: べければ。永く京都に在住して。弘法施化せられんこと
J20_0516B19: を懇願せるも。再會を約して幾もなく東國敎化の途
J20_0516B20: に上れり。かく速に三祖が京都を離れし動機不明な
J20_0516B21: るも。強ひて想像すれば京都は宗祖一代の化跡にし
J20_0516B22: て。又多くの門弟諸處に散在したるが故に。淨土敎
J20_0516B23: の敎化は略洽ねかりしなるべし。故に二祖の訓誡に
J20_0516B24: 膺へ。敎化の恩を報ぜんには。寧宗祖及二祖が未だ
J20_0516B25: 敎化に指を染めざりし。東國に敎化することを以て。
J20_0516B26: 一層適切なることを考へしによるに非るか。
J20_0516B27: (二) 信濃及兩總
J20_0516B28: 京都を出て。伊勢尾張等を經て。信濃の善光寺に
J20_0516B29: 詣でたるは。寶治二年中にありしか。其の翌建長元
J20_0516B30: 年なりしか不明なり。三祖が善光寺如來に參詣せる
J20_0516B31: は。日本最初の古佛として。はた淨土敎の本尊たる
J20_0516B32: を以て。一は未來の引接を祈り。一は東國敎化に對
J20_0516B33: し冥祐加護を禱らんとの。淨土敎信者に共通なる理
J20_0516B34: 由のほか特別の理由あり。そは西下傳法の事跡によ

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