浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0515A01: | (一) 中國及京都 |
J20_0515A02: | 三祖が嘉禎三年八月初旬。傳法相承のこと完了し。 |
J20_0515A03: | 二祖の會下を辭し。將に歸程に就かんとするに臨み。 |
J20_0515A04: | 二祖之に諗げて曰く。「我恩を報ぜんと欲せば。都鄙 |
J20_0515A05: | 遠近に淨土敎を弘め。念佛の行を勸めよ」と。爾來 |
J20_0515A06: | 寶治二年に至る迄十年間。郷里石見と安藝との兩國 |
J20_0515A07: | を往來し。敎化に盡瘁せしと傳へらるるも。此十年 |
J20_0515A08: | 間は。三祖生涯中。最も暗黑なる時代にして。其行 |
J20_0515A09: | 動に關しては一も傳ふる所無し。但前述の如く。源 |
J20_0515A10: | 朝に安藝の配處に就き。東密の奧義を傳受し。良遍 |
J20_0515A11: | に生馬竹林寺の隱棲に謁し。法相宗及諸師の淨土敎 |
J20_0515A12: | を受學せるは此間に於ける事實なりとすれば。嘉禎 |
J20_0515A13: | 三年。三祖三十九歳にして。漸く不惑に達し。本宗 |
J20_0515A14: | の宗義に於ては相承印可の後なれば。最早何等の疑 |
J20_0515A15: | 端なかりしは明なり。然れども若欲學解從凡至 |
J20_0515A16: | 聖皆得學也の祖訓に隨ひ。隨他扶宗の資糧として。 |
J20_0515A17: | 猶諸宗の義理に於ては。研究の要ありしが故に。師 |
J20_0515B18: | 命を畏み布敎傳道の傍。隙を偸みて屢諸宗の碩學に |
J20_0515B19: | 參謁し。諮決せられしが如し。 |
J20_0515B20: | 寶治二年季春。滿五十歳にして。藝石の敎化を中 |
J20_0515B21: | 止し。京都に上らる。這回上京の動機は不明なるも。 |
J20_0515B22: | 惟ふに中國敎化の一段落を告げたるも其一なるべ |
J20_0515B23: | く。又淨意尼の招請も其他の理由なりしなるべし。 |
J20_0515B24: | 淨意尼は聖覺法印の妹にして。出家して嵯峨大覺寺 |
J20_0515B25: | の寺中に住せり。聖覺法印は既に嘉禎元年に入寂せ |
J20_0515B26: | しも。二祖が宗祖の正統なることを信じたる人なれ |
J20_0515B27: | ば。其存生中。二祖の人物に就き。淨意に物語りた |
J20_0515B28: | ることあるべく。其法資たるによりて三祖の上京を促 |
J20_0515B29: | したるやも知るべからず。上京の初。淨意尼の請に |
J20_0515B30: | 應じて。其菴居に選擇集を講ぜり。 |
J20_0515B31: | 在京の時日は不明なるも。決して長からざりしが |
J20_0515B32: | 如し。然れども此間に勉めて祖跡に詣で。在世敎化 |
J20_0515B33: | の跡を偲び。又當時尚生存せる宗祖の門弟を訪ひ。宗 |
J20_0515B34: | 義上の意見を交換せることもあるべし。而も蓮寂と宗 |