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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0514A01: 來の敕告によりて。筑紫善導寺に赴き。二祖に淨土
J20_0514A02: の宗義を諮決するにあることを語る。生佛の如何なる
J20_0514A03: 人物なりしかは不明なるも。三祖と安心問題に關
J20_0514A04: し。深契ありたる人なること疑ふべからず。然らずん
J20_0514A05: ば信州より鎭西に赴くに。態態石見に立寄るべけん
J20_0514A06: や。生佛の物語を聞き。三祖も直に西下問道の意を
J20_0514A07: 決し。生佛に遲るること一日。觀阿彌陀佛と云ふ者と
J20_0514A08: 同道して。筑後國に出立せり。其善導寺に着せし
J20_0514A09: は。九月七日なりしも。此時恰も二祖は。同國上妻
J20_0514A10: 天福寺に敎化中にて不在なりしかば。翌朝上妻に馳
J20_0514A11: 參し。玆に初めて二祖に謁見し。師弟の契約を締結
J20_0514A12: せり。時に二祖七十五歳。三祖三十八歳なりき。
J20_0514A13: 上述の如く。二祖門下全く人なきに非りしも。
J20_0514A14: 多くは凡庸にして一宗の傳統を寄托するに足るべき
J20_0514A15: 人材なく。宗門の將來に對し焦慮せしが。這回の進
J20_0514A16: 謁により。傳法の適器をえたることを非常に歡喜
J20_0514A17: し。二祖は自ら法燈護持の至誠の爲に老衰の苦を忘
J20_0514B18: れ。三祖又求道解法の熱情の爲に疲惓の情なく。燈
J20_0514B19: 以て昝に繼ぎ。師弟共に孜孜として奮勵せしかば。
J20_0514B20: 其隨從の日子は僅に一ケ年に過ぎざりしも。觀經
J20_0514B21: 疏・法事讚・觀念法門・禮讚・般舟讚・論註・安樂
J20_0514B22: 集・選擇集・徹選擇集・往生要集・十二門戒儀等。
J20_0514B23: 一一に讀み傳へ。傳傳相承の法義。祖祖己證の奧
J20_0514B24: 旨。傳へて遺すことなく。恰も一器の水を一器に瀉す
J20_0514B25: が如くなりき。即嘉禎三年四月十日。善導寺に傳法
J20_0514B26: 傳戒し。同月廿日。淨土宗要八十題の口訣を天福寺
J20_0514B27: に筆受し。同年八月一日附法の璽書を授けられ。同月
J20_0514B28: 三日領解授手印鈔を草し之を呈す。二祖之を印可し
J20_0514B29: 且曰く。『我法は然阿に授け畢りぬ。法燈何ぞ消ん。
J20_0514B30: 然阿は是予が盛年に還れるなり。遺弟此人に對して
J20_0514B31: 不審を決すべし』(決疑鈔五)と。かくて筑紫の義は
J20_0514B32: 良忠これを領し。淨土宗第三代の正統は然阿彌陀佛
J20_0514B33: の承くる所となりぬ。
J20_0514B34: 五 三祖の傳道

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