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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0513A01: すれば。勝願院住居の頃とも思惟されざるにあら
J20_0513A02: ず。同書又『聞淨土傍出受法相正轍智解增長殆依
J20_0513A03: 彼師。』と云ふによれば。法相宗及諸師の淨土敎を始
J20_0513A04: めとして。諸種の講義を聽き。大に學解を啓發せら
J20_0513A05: れたるが如し。
J20_0513A06: 其他敎外別傳の宗旨。楞嚴圓覺の法門は。長樂寺
J20_0513A07: 榮朝。永平寺道元に參訣し。律範は泉涌寺俊芿に問
J20_0513A08: ひ。又南都に赴き。華嚴法相三論の宗義を研覈せ
J20_0513A09: り。かくて一代佛敎通ぜざる所なく窮めざる所なか
J20_0513A10: りしといふ。
J20_0513A11: 三祖が。良遍に就き淨土敎を學びし年月が。鎭西
J20_0513A12: に於ける受法と。前後孰れなりしかは不明なるも。
J20_0513A13: 其幼時よりして淨土敎に親むの機會は少からざりし
J20_0513A14: が如し。傳によるに。十一歳の頃三智法師と云ふ
J20_0513A15: 人。其家に來りて往生要集を講じ。惡趣の苦患と淨
J20_0513A16: 土の快樂とを詳説せるをきき。童穉ながらに深く厭
J20_0513A17: 欣の情を萠し。出家の翌年十四歳の春首にあたり。
J20_0513B18: 『五濁の憂世に生れしは。恨かたがた多けれど。念
J20_0513B19: 佛往生と聞く時は。還て嬉しく成りにける』てふ。
J20_0513B20: 和讚を高吟して。老輩を動顚せしめたりと云ひ。又
J20_0513B21: 十八歳の時。法照禪師の大聖竹林寺の記を讀み。益
J20_0513B22: 淨土歸向の志を堅くせりと云ふ。かく歸淨の機會甚
J20_0513B23: 多く。且之を欽ぶ心情切なりしも。一方諸宗研鑚に
J20_0513B24: 繁忙なりしが爲め。未だ專修淨業の法悅を味ふの餘
J20_0513B25: 暇を有せざりしに。諸宗の攻學も略一段落を告げし
J20_0513B26: かば。貞永元年三十四歳の三月。一旦歸省し。郷里
J20_0513B27: に近き多陀寺の。幽邃にして寂靜を樂むに。恰好の
J20_0513B28: 處なるを見て。此に入り不斷念佛を修して多年の渴
J20_0513B29: 望を醫せり。かく三祖の歸淨には。淵源あり根柢あ
J20_0513B30: り。準備に於て至れり盡せりと云ふべきなり。生佛
J20_0513B31: 法師の一夕の物語により。遽然として鎭西に趨向せ
J20_0513B32: しも。決して偶然に非るなり。
J20_0513B33: 多陀寺の隱棲に四箇の星霜は過ぎぬ。嘉禎二年九
J20_0513B34: 月。生佛法師は三祖の隱棲を訪ひぬ。此行善光寺如

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