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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0509A01: 衆徒等。眞言宗寺境に念佛を修するを嫌ひ。之を妨
J20_0509A02: 害せんとしたるも。幸に事なきを得たり。此事善導
J20_0509A03: 寺建立との前後知り難きも。敕傳等は此記事を善導
J20_0509A04: 寺創立の前に措くより考ふるに。或は其前に非るか。
J20_0509A05: 其他此國に於ては。山本郡吉木村陽善寺。八女郡上
J20_0509A06: 妻村川崎莊馬場村天福寺・地福寺。同莊福島村光明
J20_0509A07: 寺。無量壽院。下妻郡古島村常念寺等を開創せられ
J20_0509A08: たりと云ふ。
J20_0509A09: 肥後國に於ける。敎化の事蹟の最顯著なるは。白
J20_0509A10: 川往生院に於ける授手印の製作なり。往生院は舊飽
J20_0509A11: 田郡白川河の上に在りしを以て。白川往生院と稱す
J20_0509A12: るも。中頃熊本中唐人町に移り。後更に今地に轉せ
J20_0509A13: り。安貞二年冬二祖六十七歳の時。此に四十八日別
J20_0509A14: 時念佛を修行し。末代念佛授手印を製して。宗義の
J20_0509A15: 正鵠を指示し。得往生等十數人の門弟をして署名せ
J20_0509A16: しむること。恰も元久元年七箇條制誡文の時の如し。
J20_0509A17: 是より先。二祖門下修阿彌陀佛と敬蓮社とが。宗義
J20_0509B18: 上の見解を異にし。修阿彌陀佛の弟子滿願社と云ふ
J20_0509B19: 者。敬蓮社の説に賛し。却て師説を破したることあ
J20_0509B20: り。二祖は永く此等門下諍論の禍根を絶たんが爲に。
J20_0509B21: 此擧ありしといふ。尚此國にも菊池郡五福寺。宇土
J20_0509B22: 郡石橋村三寶院。同郡宇土町西光院等は其遺跡なり
J20_0509B23: と傳へらる。
J20_0509B24: 嘉禎二年九月八日。三祖上妻天福寺に參謁す。是
J20_0509B25: より先。二祖は門下に傳法の器なく。窃に宗門の將
J20_0509B26: 來に對して甚憂惧せしが。三祖の入門を見て大に喜
J20_0509B27: び。翌年八月に至る一年間。宗義の細大を口授し。
J20_0509B28: 兩脉を傳附し。翌嘉禎四年閏二月廿九日善導寺に入
J20_0509B29: 寂す。時に年七十六なりき。
J20_0509B30: (四) 著 書
J20_0509B31: 二祖の著書は。前記授手印の外。徹選擇集二卷
J20_0509B32: (嘉禎三年六月)。淨土宗要集六卷(又鎭西宗要或は
J20_0509B33: 單に西宗要と稱す嘉禎三年四月廿日三祖筆受)。識
J20_0509B34: 知淨土論一卷。淨土名目問答三卷(又鎭西名目と云

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