浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0509A01: | 衆徒等。眞言宗寺境に念佛を修するを嫌ひ。之を妨 |
J20_0509A02: | 害せんとしたるも。幸に事なきを得たり。此事善導 |
J20_0509A03: | 寺建立との前後知り難きも。敕傳等は此記事を善導 |
J20_0509A04: | 寺創立の前に措くより考ふるに。或は其前に非るか。 |
J20_0509A05: | 其他此國に於ては。山本郡吉木村陽善寺。八女郡上 |
J20_0509A06: | 妻村川崎莊馬場村天福寺・地福寺。同莊福島村光明 |
J20_0509A07: | 寺。無量壽院。下妻郡古島村常念寺等を開創せられ |
J20_0509A08: | たりと云ふ。 |
J20_0509A09: | 肥後國に於ける。敎化の事蹟の最顯著なるは。白 |
J20_0509A10: | 川往生院に於ける授手印の製作なり。往生院は舊飽 |
J20_0509A11: | 田郡白川河の上に在りしを以て。白川往生院と稱す |
J20_0509A12: | るも。中頃熊本中唐人町に移り。後更に今地に轉せ |
J20_0509A13: | り。安貞二年冬二祖六十七歳の時。此に四十八日別 |
J20_0509A14: | 時念佛を修行し。末代念佛授手印を製して。宗義の |
J20_0509A15: | 正鵠を指示し。得往生等十數人の門弟をして署名せ |
J20_0509A16: | しむること。恰も元久元年七箇條制誡文の時の如し。 |
J20_0509A17: | 是より先。二祖門下修阿彌陀佛と敬蓮社とが。宗義 |
J20_0509B18: | 上の見解を異にし。修阿彌陀佛の弟子滿願社と云ふ |
J20_0509B19: | 者。敬蓮社の説に賛し。却て師説を破したることあ |
J20_0509B20: | り。二祖は永く此等門下諍論の禍根を絶たんが爲に。 |
J20_0509B21: | 此擧ありしといふ。尚此國にも菊池郡五福寺。宇土 |
J20_0509B22: | 郡石橋村三寶院。同郡宇土町西光院等は其遺跡なり |
J20_0509B23: | と傳へらる。 |
J20_0509B24: | 嘉禎二年九月八日。三祖上妻天福寺に參謁す。是 |
J20_0509B25: | より先。二祖は門下に傳法の器なく。窃に宗門の將 |
J20_0509B26: | 來に對して甚憂惧せしが。三祖の入門を見て大に喜 |
J20_0509B27: | び。翌年八月に至る一年間。宗義の細大を口授し。 |
J20_0509B28: | 兩脉を傳附し。翌嘉禎四年閏二月廿九日善導寺に入 |
J20_0509B29: | 寂す。時に年七十六なりき。 |
J20_0509B30: | (四) 著 書 |
J20_0509B31: | 二祖の著書は。前記授手印の外。徹選擇集二卷 |
J20_0509B32: | (嘉禎三年六月)。淨土宗要集六卷(又鎭西宗要或は |
J20_0509B33: | 單に西宗要と稱す嘉禎三年四月廿日三祖筆受)。識 |
J20_0509B34: | 知淨土論一卷。淨土名目問答三卷(又鎭西名目と云 |