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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0505A01: 暇。東山に於ける宗祖の禪房を訪問す。時に建久八
J20_0505A02: 年五月上旬。宗祖六十五歳。二祖三十六歳なりき。
J20_0505A03: 初謁の砌。宗祖は三重念佛の義を提唱し。台淨念佛
J20_0505A04: の差別を擧示せらる。爾後三箇月間。日日禪房に往
J20_0505A05: 返し。淨敎を諮禀し。略宗要を領するに至る。然る
J20_0505A06: に佛像も完成せしかば。同年七月再會を約して郷里
J20_0505A07: に歸り。本尊を奉安し慶讚の式を擧げ。玆に世務を
J20_0505A08: 果し。年來の素志たる隱遁生活を專にするを得る身
J20_0505A09: と成れり。
J20_0505A10: 建久十年二月。再び上洛して宗祖門下の人と成
J20_0505A11: る。上洛幾ならずして選擇集の書寫を許され。元久
J20_0505A12: 元年に至る迄六箇年間。日日禪房に參謁して提撕を
J20_0505A13: 受け。三經一論の深義。列祖釋義の奧旨。宗祖己證
J20_0505A14: の幽玄を相承して。洩す所なく餘す所なし。傳燈遺
J20_0505A15: 餘なきを證する爲め宗祖自筆の書あり『源空所存皆
J20_0505A16: 申于御邊畢此外若有所存者以梵釋四王奉仰其
J20_0505A17: 在判』と。曾て大和入道見佛。宗祖に滅後法門の
J20_0505B18: 疑難を決すべき人を尋ねしに。宗祖は『聖光及金光
J20_0505B19: 精く我義を知るも遠國にありて面謁し難し聖覺も亦
J20_0505B20: 我意を知り且洛中に在るが故に面謁し易し』と。又
J20_0505B21: 或人竹谷乘願房に。誰人か宗祖の義を慥に述ぶるか
J20_0505B22: を尋ねしに。彼は聖覺法印。聖光上人也と答へたり
J20_0505B23: と云ふ。又勢觀房源智は。嘉禎三年九月廿一日。書
J20_0505B24: を善導寺に遣して云く。『抑先師念佛の義。末流濁
J20_0505B25: 亂して。義道昔に似ざるは甚遺憾なり。但御邊一人
J20_0505B26: 正義傳持の由。喜悅極り無し』と。正信房湛空云
J20_0505B27: く。『故上人の御義鎭西善導寺内に留る』と。又聖覺
J20_0505B28: 法印説法の次に述べて云く。『京中興盛の義。共に全
J20_0505B29: く故上人の御義に非ず。但鎭西聖光房上人は數年稽
J20_0505B30: 古せる人にして。故上人の御義に一分も違はず候云
J20_0505B31: 云』と。幸西の弟子敬蓮社之を聞き。一念義を捨て
J20_0505B32: 鎭西の門に入りしと云ふ。又三祖を二祖に紹介した
J20_0505B33: る生佛も。宗祖門下の異説多端にして去就に迷ひ。
J20_0505B34: 信州善光寺の如來に之が指決を祈り。鎭西聖光房能

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