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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0502A01: なり。嘉祿元年。下野國芳賀郡高田に專修寺を創
J20_0502A02: む。貞永元年六十歳にして歸西の途に就き。京都に
J20_0502A03: 歸り諸處に僑居せしが。弘長二年十一月廿八日。九
J20_0502A04: 十歳を以て善法院に寂す。著す所。敎行信證文類の
J20_0502A05: 外。淨土文類聚抄。愚禿抄。入出二門偈。三帖和
J20_0502A06: 讚。三經往生文類。尊號眞像銘文。一念多念證文。
J20_0502A07: 唯信抄文意等あり。
J20_0502A08: 親鸞の流義を承繼するもの血統と法統とあり。蓋
J20_0502A09: 彼は宗祖の敎義を極端に運ひ。且つ之を實行したる
J20_0502A10: 人にして。肉食妻帶して半俗半僧の生活をなし。數
J20_0502A11: 人の子女を有せり。季女日野廣綱に嫁せしが。廣綱
J20_0502A12: の沒後。其子覺慧と共に大谷に於ける親鸞の墳墓の
J20_0502A13: 傍に廬を結び之を守る。是本願寺の起原なり。弘安
J20_0502A14: 三年。親鸞の長子善鸞の子如信を奧州大網に迎へて
J20_0502A15: 法嗣としたるも。後覺慧に之を附屬して東國に赴き
J20_0502A16: しかば。覺慧の子覺如宗昭次で本願寺第三世と成
J20_0502A17: る。覺如の長子存覺は。學問該博且文筆に長し。六
J20_0502B18: 要鈔。選擇集註解鈔等著述非常に多く。其門徒間に
J20_0502B19: 於ける輿望も大なりしが、父と宗義上意見の衝突あ
J20_0502B20: りしが爲に。常樂臺に別基を立て。其弟從覺の子善
J20_0502B21: 如俊玄覺如の跡を襲ひて第四世と成りてより。綽如
J20_0502B22: 時藝。巧如玄康。存如圓兼を經て。第八世蓮如兼壽
J20_0502B23: に及ぶ。蓮如は近畿北國東國を歷遊して。到處に深
J20_0502B24: 厚なる感化を施し。祖風を發揚し。今日に於ける彼
J20_0502B25: 門流隆盛の基礎を定めたり。蓮如の後實如光兼。證
J20_0502B26: 如光敎を經て顯如光佐に至る。顯如の季子准如光昭
J20_0502B27: 本願寺を相續し。長子敎如光壽別に本願寺を建つる
J20_0502B28: に及びて本願寺に東西の別あり。
J20_0502B29: 親鸞の法統に屬するものは。眞佛。顯智。性信及
J20_0502B30: 其門葉なり。顯智は眞佛の女婿にして。その子孫下
J20_0502B31: 野國芳賀郡高田專修寺に居りしが故に。專修寺派。
J20_0502B32: 或は高田派の稱あり。寬正六年。第十世眞慧之を伊
J20_0502B33: 勢國奄藝郡一身田に移せしかば。適適一身田派の稱
J20_0502B34: なきに非るも。普通尚高田派と稱す。眞佛の弟子源

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