浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0500A01: | 住し、後鎌倉に赴き理智光寺を開き。又名越安養院 |
J20_0500A02: | を創む。或時常州阿彌陀山に到り專心念佛を策修し |
J20_0500A03: | たりと云ふ。晩年西に歸り東寺を再興し。又高野山 |
J20_0500A04: | を修補し。建治二年(宗祖滅後六十五年)八月廿九 |
J20_0500A05: | 日寂(總系譜下)。或は永仁三年(宗祖滅後八十四年) |
J20_0500A06: | 寂と(大山不動靈記)。安養院は元長谷の前稻瀨川邊 |
J20_0500A07: | に在りしが。高時滅亡の後今地に移すと云へば(新 |
J20_0500A08: | 編鎌倉誌)。其際善導寺と合併したるものか。第二世 |
J20_0500A09: | は蓮念(律師の弟子)にして。第三世は尊觀とす。 |
J20_0500A10: | 五 覺明房長西 |
J20_0500A11: | 覺明房長西は。讚岐國西三谷の人。建久三年九歳 |
J20_0500A12: | にして上洛し。菅家の長者に從ひ俗典を學び。建仁 |
J20_0500A13: | 二年十九歳にして宗祖門下に投じ出家す。爾後宗祖 |
J20_0500A14: | に給事すること十一年なりしが。建曆二年宗祖入滅の |
J20_0500A15: | 後は。四方に遊學し諸宗を研究せしが。就中出雲路 |
J20_0500A16: | 住心房覺瑜及俊芿法師に天台摩訶止觀を學び。佛法 |
J20_0500A17: | 禪師に參し禪旨を禀け。其他起信釋論等をも暗鍊せ |
J20_0500B18: | り(源流章)。故に長西の淨土敎も。此等諸宗就中 |
J20_0500B19: | 天台の敎義の影響を蒙ること甚しく。念佛本願の外 |
J20_0500B20: | に。或は念佛本願と倶に。諸行亦本願行なりとの異 |
J20_0500B21: | 義を主張し。當時宗祖唱道の本願念佛主義と別立し |
J20_0500B22: | て。諸行本願を主張せる出雲路住心。生馬良遍。木 |
J20_0500B23: | 幡眞空。知足院悟阿等の天台三論法相の人師に雷同 |
J20_0500B24: | せり。成業の後。暫く郷里西三谷に歸りて念佛宗を |
J20_0500B25: | 弘通せしが。幾もなく此地を上足覺心に附し。再び |
J20_0500B26: | 上洛して郊北に九品寺を立て。此に其主張の淨土敎 |
J20_0500B27: | を宣説したり。其滅年は明ならざるも。凝然大德の |
J20_0500B28: | 維摩經疏菴羅記第九卷に昔北洛九品寺長西上人淨土 |
J20_0500B29: | 法門之先德也。予齡居二十二往詣彼寺聽講善導 |
J20_0500B30: | 和尚觀經義疏于時長西大德年齡七十八。即弘長元年 |
J20_0500B31: | 辛酉七月自恣竟也云云。と云ふ記事あり。之により |
J20_0500B32: | て弘長元年七十八歳にして尚九品寺に住し。善導觀 |
J20_0500B33: | 經疏を講じ。四來の學生を敎授したるを見るべし。 |
J20_0500B34: | 長西の著述として今日流傳するものに。選擇本願 |