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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0499A01: 張せり(源流章)。又圓宗の要文を集め。簡要なる説
J20_0499A02: 明を記し。初心集と題せる五卷の秘鈔を造れり(最
J20_0499A03: 須敬重繪詞二)。慈信はもと比叡山の學侶にして。
J20_0499A04: 侍從竪者貞舜と號せしが。淨土に歸入の後。慈信房
J20_0499A05: 澄海と改めたり(最須敬重繪詞二)。彼また異義を主
J20_0499A06: 張して。念佛諸行共に本願にして。共に報土に往生
J20_0499A07: するを説けり(源流章)。唯性の外最須敬重繪詞五
J20_0499A08: に。慈信の眞弟として禪日房良海を擧げ。存覺一期
J20_0499A09: 記上には。正安元年大谷南敷地は。直法萬疋を以て
J20_0499A10: 彼より買求めたりと云ふ。敬日。慈信。禪日は相次
J20_0499A11: て洛東に於ける律師の舊跡或は其附近に止住し。京
J20_0499A12: 都に於ける一流の中心たりしが如し、故に本願寺覺
J20_0499A13: 如は。文永十一年(九才)秋より慈信の門下にあり
J20_0499A14: て。内外典の素讀を受け。又成人の後。禪日より敬
J20_0499A15: 日慈信相傳の鈔物祕書等を。彼地所買受の際讓受け
J20_0499A16: たりと云ふ(最須敬重繪詞二、五、)。
J20_0499A17: 智慶は關東の人。初め天台を學びしが。後上洛し
J20_0499B18: て隆寬に就き淨敎を禀け。又關東に下り鎌倉に長樂
J20_0499B19: 寺を開き(總系譜)。所承を弘通す。東土に淨敎の興
J20_0499B20: 起したるは彼の力與て大なりしと云ふ(源流章)。隆
J20_0499B21: 慶も亦關東人にして。智慶と同師の下に於ける天台
J20_0499B22: 宗の學者なりしが。隆寬に從ひ。又智慶に就き淨土
J20_0499B23: 敎を學び。智慶に繼ぎ長樂寺に住し所承を弘敷した
J20_0499B24: り。信樂も初めは隆寬に學び。後智慶に從ひしと云
J20_0499B25: ふ。信承は延曆寺法印權大僧都にして。天台の學匠
J20_0499B26: なりしが。智慶に從ひ淨土門に歸入したり。寬海は
J20_0499B27: 圓照上人傳に於ける觀海と同人なるべし。關東人に
J20_0499B28: して長空に從ひ淨敎を學びしが。文永の頃洛陽に大
J20_0499B29: 光明寺を建て。又戒壇院圓照に從ひ比丘戒を受け眞
J20_0499B30: 言を相傳す。
J20_0499B31: 淨土傳燈總系譜下には尚多數の門葉を附加す。就
J20_0499B32: 中最注意すべきは願行なり。願行諱は憲靜。圓滿と
J20_0499B33: 號す。業を南都の智鏡に受け。密灌を醍醐の賴賢に
J20_0499B34: 傳受す。後隆寬に從ひ淨敎を禀く。初京都泉涌寺に

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