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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0497A01: 吉水の南。圓山長樂寺の來迎房に住す。故に其流
J20_0497A02: 義を長樂寺流と稱す。歸淨以後毎日阿彌陀經四十八
J20_0497A03: 卷を讀み。念佛三萬五千遍の行者と成りしが。後六
J20_0497A04: 萬遍に增加したり。其後又宗祖の彌陀經讀誦を廢し
J20_0497A05: て。一向稱名の外他事を行せずとの談を聞くに及び。
J20_0497A06: 四十八卷彌陀經讀誦を止め。毎日八萬四千遍の稱名
J20_0497A07: を勤修するに至りしと云ふ。盖宗祖門下中最多の日
J20_0497A08: 課稱名を勤めたる人。其流義を一念義に對して多念
J20_0497A09: 義と稱するも。恐らく此事實に因づくものならん。
J20_0497A10: 元久元年三月十四日。彼が宗祖の小松殿の菴居を
J20_0497A11: 訪ひしに。宗祖選擇集を授けて書寫せしめ。不審を
J20_0497A12: 質すべきを命ぜられしかば。尊性。昇蓮等に助筆せ
J20_0497A13: しめて。急ぎ之を書寫したりと云ふ。選擇集の授受
J20_0497A14: は。宗祖在世には嚴密なりしに拘はらず。彼が此殊
J20_0497A15: 遇を蒙りしに徴するに。宗祖在世中。既に門下に於
J20_0497A16: ける位地の尋常ならざりしを知るべし。宗祖滅後彼
J20_0497A17: が宗祖門弟中に頭角を現せしことは。嘉祿三年の法難
J20_0497B18: に際して最も顯著なりき。
J20_0497B19: 嘉祿三年の法難が。南都北嶺の念佛興隆に對す
J20_0497B20: る。怨嗟訴訟に因くは言迄もなし。然れども山門衆
J20_0497B21: 徒の憤怒を激發したる直接原因は。律師にありとま
J20_0497B22: で傳へらる。盖當時叡山に。證眞法印の門弟に隆眞
J20_0497B23: 法橋(並榎竪者定照と云ふものあるも疑し)と云ふ
J20_0497B24: 者あり。彈選擇一卷(或は二卷)を作り。宗祖の選擇
J20_0497B25: 集を彈劾す。律師顯選擇を造り彼を辨破し。尚彼の
J20_0497B26: 彈劾の當らざるを。暗天の飛礫の如しと嘲笑せり。
J20_0497B27: 之を見たる山門衆徒は。年來の積憤一時に破裂し。
J20_0497B28: 隆眞の同法永尊竪者(定照或は定增とは永尊の訛傳
J20_0497B29: に非るか)。之が巨魁として朝廷に囂訴し。彼が如き
J20_0497B30: 大慘劇を演ずるに至りしなり。
J20_0497B31: 嘉祿三年七月七日(或は六日)。律師は幸西。空阿
J20_0497B32: 彌陀佛と共に流刑に處せられ。度牒を召上げられ。
J20_0497B33: 俗名を山遠里と賜ひ陸奧國に配せらる(百鍊鈔十
J20_0497B34: 三)。同年九月二十六日。山門の訴訟により更に對

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