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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0496A01: 三、東山流 證入。洛東宮辻子に阿彌陀院を開き
J20_0496A02: 住す。故に東山流或は宮辻子義と稱す。寬元二年七
J20_0496A03: 月七日寂す。彼門人中觀日は阿彌陀院を繼承し。智
J20_0496A04: 道は鎌倉新善光寺に住し。證佛は證入に淨敎を禀承
J20_0496A05: したる後。密敎を高野道範に習ひ。戒律を東大の圓
J20_0496A06: 照に受け。洛東安養寺を中興し。又八幡に住して所
J20_0496A07: 承を弘む。
J20_0496A08: 四、嵯峨流 道觀は初證入に從ひ後證空に學ぶ。
J20_0496A09: 後嵯峨院深く彼に歸依し。洛西嵯峨小倉山に淨金剛
J20_0496A10: 院を建て開山とし給ふ。彼此に所承を弘通せしが故
J20_0496A11: に。嵯峨流の名あり。文永元年五月三日寂す。
J20_0496A12: 以上東山。嵯峨二流は。西谷。深草に比すれば。
J20_0496A13: 門葉甚寂莫を極め。且つ其存續も甚短かく。之を前
J20_0496A14: 二流と並列するは不倫の觀なきに非るも。這は末葉
J20_0496A15: のことに屬し。流祖當時に於ては拮抗して相降らざり
J20_0496A16: しものならん。
J20_0496A17: 以上四流の外。遊觀の法統は三鈷寺を相續して繁
J20_0496B18: 昌し。聖達は肥前國藤津郡八木本村原山知恩寺を開
J20_0496B19: き。道化一隅に普及し。其門下に時宗の開祖一遍上
J20_0496B20: 人を出せり。一説には親鸞をも西山門下に屬せしむ。
J20_0496B21: 是其敎義の似たるより來れる説歟。
J20_0496B22: 四 隆寬律師
J20_0496B23: 隆寬は無我或は皆空と號す。粟田道兼五代孫資隆
J20_0496B24: の三男にして。皇圓阿闍梨は其叔父なり。出家して
J20_0496B25: 皇圓の法兄範源法印に受法し。後吉水慈圓僧正の門
J20_0496B26: 弟たり。比叡山に於ける彼位地は。其權律師に任ぜ
J20_0496B27: られ。又建久三年根本中堂安居の結願導師に推され
J20_0496B28: たりと云ふ傳説に徴するに。甚輕からざりしを知る
J20_0496B29: に足るべし。後淨土門を欣慕し宗祖の門に入る。其
J20_0496B30: 入門の年月は不明なるも。建久三年導師に推薦せら
J20_0496B31: れし時。宗祖門下に出入するの理由を以て。衆徒が
J20_0496B32: 反對を唱へしとの説を眞とすれば。其以前に屬する
J20_0496B33: こと明なり。從て安貞元年八十歳入寂とすれば。四十
J20_0496B34: 五歳已前のことなり。

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