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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0495A01: 時は圓福寺と稱せしが寬正三年改號す)を開き。又
J20_0495A02: 粟生野光明寺に住す。
J20_0495A03: 了音は山城國八幡に住し。又京都六角に住して其
J20_0495A04: 所承を弘通せるが故に。彼を八幡了音。或は六角了
J20_0495A05: 音と呼び。其著す所の觀經疏鈔等を八幡鈔。或は六
J20_0495A06: 角鈔と號す。又了音より義勝。永覺を經て智通あり。
J20_0495A07: 美濃國市橋に立政寺を開く。道德高尚にして朝廷の
J20_0495A08: 歸崇頗る厚く。紫衣並に菩薩號を下賜せらる。應永
J20_0495A09: 十年五月朔日九十歳を以て寂す。著書に觀經口筆鈔。
J20_0495A10: 論註口筆鈔。選擇口筆鈔等二十餘卷ありと云ふ。智
J20_0495A11: 通門下に達智あり。嘉曆元年。尾張國愛知郡部田に
J20_0495A12: 祐福寺を開く。達智の弟子に融傳あり。同國熱田に
J20_0495A13: 正覺寺を創む。祐福寺。正覺寺は曼陀羅寺と共に尾
J20_0495A14: 張に於ける西山派の檀林なり。此等の外融舜。南楚。
J20_0495A15: 鐵空。貞準等知名の學者德家尠からず。西山四流中最
J20_0495A16: も繁榮し。光明寺。禪林寺等の諸本寺及諸大寺は多
J20_0495A17: く此門徒の支配相續する所なり。
J20_0495B18: 二、深草流 圓空は洛南深草に眞宗院を開き。此
J20_0495B19: に流義を弘通す。故に此名あり。後證空に繼で西
J20_0495B20: 山。遣迎の諸大寺を董し。龍護殿に補せらる。著す
J20_0495B21: 所觀經疏記十卷等あり。弘安七年四月十八日寂す。
J20_0495B22: 圓空の門下には顯意最著る。初筑紫の聖達に從ひし
J20_0495B23: も後圓空の弟子と成る。洛西釋迦院。竹林寺に住し
J20_0495B24: て法幢を建て。又眞宗院龍護殿に住す。著書には觀
J20_0495B25: 經疏楷定記三十六卷。淨土疑端三卷等數部あり。嘉
J20_0495B26: 元二年五月十九日寂す。顯意の門下道意あり。洛東
J20_0495B27: に圓福寺を開く。道意の弟子頓乘は圓福寺に住し。又
J20_0495B28: 綾小路猪熊に住して弘通し。頓乘の弟子堯慧は圓福
J20_0495B29: 寺に住し。論註。選擇集等の私集鈔を作る。堯慧の弟
J20_0495B30: 子に龍藝あり。至德年中。三河國額田郡山中法藏寺を
J20_0495B31: 再興す。龍藝の法孫敎然は。同國額田郡岩津に妙心
J20_0495B32: 寺を開く。中古法藏。妙心兩寺は深草檀林として有
J20_0495B33: 名なり。此流は西谷に次ぎ隆盛にして。誓願寺。圓
J20_0495B34: 福寺等の本山は。其末葉の支配する所なり。

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