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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0494A01: 業をなしたることは。念佛主義の彼としては甚だ信
J20_0494A02: じ難きことなれども。諸行も念佛に開會すればまた淨
J20_0494A03: 土の行たりとの主張に思ひ合す時は。決して怪しむ
J20_0494A04: に足らざるなり。幸西と同年の寶治元年十一月二十
J20_0494A05: 六日。七十一歳を以て西山往生院に入寂す。遺身を
J20_0494A06: 寺中に歛め。塔を立て華臺廟と稱す。
J20_0494A07: 證空の著書には。觀經疏秘決集二十卷。他筆鈔十
J20_0494A08: 卷。觀門要義鈔四十三卷(薄墨鈔)。曼陀羅註記十
J20_0494A09: 卷。當麻曼陀羅供養式一卷。同八講論義鈔一卷。選擇
J20_0494A10: 密要決五卷。四十八願鈔。修行要決等あり。
J20_0494A11: 證空の門下。多士濟濟たるも。就中最も顯はれた
J20_0494A12: るは。淨音法興。圓空立信。證入觀鏡。道觀證慧の
J20_0494A13: 四人にして。淨音の流派を西谷流。圓空の流派を深
J20_0494A14: 草流。證入の流派を東山流。道觀の流派を嵯峨流と云
J20_0494A15: ふ。
J20_0494A16: 一、西谷流 淨音は洛西仁和寺の西谷に光明寺を
J20_0494A17: 建て。宗乘を敷演せるによりて此名あり。後洛東禪林
J20_0494B18: 寺に住し。文永八年五月二十二日寂す。著す所。愚
J20_0494B19: 要鈔等若干卷あり。淨音の門下。觀智。了音顯る。
J20_0494B20: 觀智は淨音に繼ぎ禪林寺に住し。又武藏國荏原郡鵜
J20_0494B21: 木光明寺に住して所承を弘む。觀智の下道空。行觀
J20_0494B22: 著る。行觀は觀智に繼ぎ鵜木に居り寶幢院(後眞言
J20_0494B23: 宗と成る)に住し。歷代祖師章鈔に註釋三十五卷を
J20_0494B24: 著す。此等は何れも祕鈔と號すれども。又鵜木鈔。
J20_0494B25: 或は寶幢院私記と稱す。正中二年五月九日寂す。行
J20_0494B26: 觀門下觀敎あり。武藏國神奈川に住す。觀敎の弟子に
J20_0494B27: 道覺あり。上野國吾妻に住す。其弟子識阿は貞治元
J20_0494B28: 年吾妻郡原に善導寺を開く。道覺の弟子に圓光あ
J20_0494B29: り。識阿に繼ぎて善導寺第二世と成る。圓光の門下に
J20_0494B30: 光雲あり。寶德二年紀伊國海草郡梶取に總持寺を開
J20_0494B31: く。是南海に於ける西山流の本山なり。文明年中寂
J20_0494B32: せり。著す所大經鈔。祕決集鈔。變相鈔。安養報身
J20_0494B33: 報土義。淨土名目。選擇私鈔等數部あり。光雲門下
J20_0494B34: に乘運あり。尾張國葉栗郡飛保に曼陀羅寺(開創當

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