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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0491A01: との説によるに。當時彼が宗祖門下に於ける地位察
J20_0491A02: すべきなり。是を宗祖滅後に至りて。彼が門弟を籠
J20_0491A03: 絡して此の位地を成せしと説かんは。彼と運命を共
J20_0491A04: にしたる隆寬。空阿彌陀佛の人格と併せ考へて。餘
J20_0491A05: りに酷なる解釋と云はざるを得ず。
J20_0491A06: 彼が嘉祿三年以後の運命は甚漠然たり。或説に建
J20_0491A07: 永二年宗祖配流の後。綽空後號親鸞と相伴ひ越後國に下
J20_0491A08: 向し。國司城小太郞隼人佐基親に據り念佛宗を興隆
J20_0491A09: せんと欲せしが。歳餘にして兩人共に捨戒師敎に違
J20_0491A10: し門下を放たれ。覺盛(後成覺)獨り越前國に赴き。
J20_0491A11: 遂に還俗して織田大明神神職の家に入婿し神官と成
J20_0491A12: り。其第十八世の後孫は織田信長なりと云ふ(御傳
J20_0491A13: 翼賛遺事)も。前に述べし如く織田系譜中親眞に出
J20_0491A14: 家の記事なきのみならず。嘉祿三年の事實と相違す
J20_0491A15: るを以て決して信ずべからず。或は云ふ彼宗祖門下
J20_0491A16: を放逐せらるる後。下總國栗原郷に赴き。道場を建
J20_0491A17: て道俗を勸化し。其門人永く此に止住せりと(五重
J20_0491B18: 拾遺鈔中、五重拾遺見聞)。而して彼は寶治元年丁未
J20_0491B19: 四月十四日八十五歳入滅とす(或宗脈)。
J20_0491B20: 彼れの著書は。淨土源流章には。略料簡。一渧記。
J20_0491B21: 稱佛記の三書を引用し。最須敬重繪詞五には。凡頓
J20_0491B22: 一乘。略觀經義。略料簡。措心偈。持玄鈔の五書目
J20_0491B23: を擧ぐるも。何れも今や散逸して傳はらず。
J20_0491B24: 幸西門下は。淨土源流章によるに。正定。正縁。
J20_0491B25: 後投長西明信。入信。善性。勤信住于木幡の六人あり。善性の
J20_0491B26: 門人に。永信。仙才あり。淨土傳燈總系譜によるに。
J20_0491B27: 前八人の外了智。明敎。淨信。敎眞。證慧。了敎。
J20_0491B28: 了圓。承眞の八人。及び了智の門人に。了敎。證慧
J20_0491B29: (前と同異不明)。敎信の三人。淨信門下に。慈道。
J20_0491B30: 承眞(前と同異不明)。尊眞。了眞の四人を擧げ。入
J20_0491B31: 信を入眞とし。其下に傾心を擧げ。正縁を正圓とす。
J20_0491B32: 此等門人がいかに散在し。師敎をいかに弘通したる
J20_0491B33: かは。今多く知るに由なし。淨土源流章には。並弘
J20_0491B34: 所承流通遐邇。洛陽波州阿波于今有之とあれば。

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