浄土宗全書を検索する
AND検索:複数の検索語をスペースで区切って入力すると、前後2行中にそれらを全て含む箇所を検索します。
巻_頁段行 | 本文 |
---|---|
J20_0489A01: | と。證空の主張と相距ること決して遠きものにあらず。 |
J20_0489A02: | 若一念義の故を以て門下に列せずとならば。證空を |
J20_0489A03: | も除くべきなり。且幸西・行空・證空・親鸞の主張 |
J20_0489A04: | は。何れも一系の上に立ちて。唯程度を異にするの |
J20_0489A05: | み。故に若證空を除かずとすれば。幸西。行空。親 |
J20_0489A06: | 鸞も排す可らず。彼等を除くべしとせば。證空も門 |
J20_0489A07: | 下に留むべからず。又幸西一系の主張が。宗祖の敎 |
J20_0489A08: | に背反するが故に。門下に列せずとすれば。長西の |
J20_0489A09: | 如きも同理由により排斥せざるべからず。加〓尚此 |
J20_0489A10: | 四流の説の宗史上より見て許すべからざるは。辨阿 |
J20_0489A11: | を以て他の三人と同列に置くことなり。辨阿は正統第 |
J20_0489A12: | 二祖なり豈他の三人と同一視すべけんや。故に宗祖 |
J20_0489A13: | 門下に於て異説を唱へ。一派を樹立したる者として |
J20_0489A14: | は。隆寬・長西・幸西・證空・行空・親鸞の六人を |
J20_0489A15: | 列擧するを妥當とすべし。而も行空は其主張殆んど |
J20_0489A16: | 幸西と一致し一の流派と見做す程の價値なしとすれ |
J20_0489A17: | ば。結局宗祖門下の異流は五ありしと云ふべきなり。 |
J20_0489B18: | 二 成覺房幸西 |
J20_0489B19: | 幸西。族姓郷貫を詳にせず。或は云ふ物部氏と戈 |
J20_0489B20: | 遺古德傳七)。或は云ふ平資盛遺腹の子にして江州津 |
J20_0489B21: | 田莊津田親冬に成育せられ。津田先生權太郞親實或作 |
J20_0489B22: | 親眞と稱せしが。後比叡山に出家して覺盛と號し。更 |
J20_0489B23: | に成覺と改めたりと(御傳翼賛遺事)。織田系圖を見 |
J20_0489B24: | るに。資盛の遺子に三郞權太夫親眞あるも權太郞に |
J20_0489B25: | 非ず。又出家のことなし。或宗脈に建曆二年彼五十歳 |
J20_0489B26: | なりしと云ふを眞とせば。二條天皇長寬元年は其生 |
J20_0489B27: | 年なるが如し。 |
J20_0489B28: | 彼少壯の頃比叡山西塔南谷に住し鐘本房(或鐘下 |
J20_0489B29: | 房カネモト房鐘月房に作る)少輔と號し。山中に於 |
J20_0489B30: | ても聰敏の譽高かりしが。事縁にふれ厭世隱遁の情 |
J20_0489B31: | 禁じがたく。遂に叡山を下りて宗祖の門に投じ。成 |
J20_0489B32: | 覺房(或成覺坊成學坊淨覺法師に作る)幸西と改名 |
J20_0489B33: | す。是彼三十六歳の時なりと云ふ。前に擧げし或宗 |
J20_0489B34: | 脈の説によれば。建久九年選擇述作の年なり。爾來 |