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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0487A01: 聊有遺囑謂黑谷本坊寢殿雜舍白川本坊寢殿雜舍坂下園一所洛
J20_0487A02: 中領地一所此外本尊三尺彌陀立像定朝聖敎摺寫六十卷等付屬之了其書在
J20_0487A03: 別紙」とあるによりて知るべし。かく彼が宗祖に親近
J20_0487A04: せしが故に。其不思議の靈相等に就ても目睹せること
J20_0487A05: 多く。且つ重大事件惹起する毎に。彼は門弟の上首
J20_0487A06: として先ちて宗祖に請問し。門弟を指揮せるが如し。
J20_0487A07: 其の流罪に際し宗祖を諫め。入滅に臨み遺跡を尋ね。
J20_0487A08: 勝尾寺に衣を施されし際には。彼之れを支辨し。七
J20_0487A09: 箇條制誡文を製せらるるや彼筆を執り之を書記し。
J20_0487A10: 且其名を第一に署せるが如き。孰れも其然ることを證
J20_0487A11: せざるなし。宗祖臨終に。孝養の爲に精舍建立の營
J20_0487A12: をなすなく。志あらば各群集せずして念佛すべしと
J20_0487A13: 命ぜられしにも拘らず。彼は世間の風儀に順じて。
J20_0487A14: 念佛の外七七日の佛事を修すべきを主張せしかば。
J20_0487A15: 諸人も之に從ひて佛事を營みたり。嘉祿三年六月の
J20_0487A16: 法難にも。彼主として夜中發堀移他の議を立て。幸
J20_0487A17: に遺骸の耻辱を免れしめたり。安貞二年九月九日八
J20_0487B18: 十三歳を以て寂す。眞觀房感西は法蓮房に次で門弟
J20_0487B19: 中の古參なり。承安元年十九歳を以て入門せしが。
J20_0487B20: 入門以後常に隨從して。法要を諮詢し。給仕して他念
J20_0487B21: なかりしかば。遺誡文に。『又吉水中坊舊在西山廣谷高畠領
J20_0487B22: 地一所付屬之感西也……感西長尊是又年來常隨弟子
J20_0487B23: 故付與之者也』とあり。長尊は同文によれば。吉
J20_0487B24: 水西舊房の本主なりとあるも。其他に傳へらるる所
J20_0487B25: なしと雖も。感西と彼とは信空に次ぐべき常隨給事
J20_0487B26: の弟子たりしこと明なり。感西は正治二年閏二月六日。
J20_0487B27: 四十八歳を以て師に先ちて往生せしかば。宗祖は我
J20_0487B28: を棄てておはすることよとて。涙をおとされしと云ふ
J20_0487B29: に見るも。其關係の甚親密なりしを察すべし。彼又
J20_0487B30: 文筆に長じたりしかば。選擇集述作の座に侍し。後
J20_0487B31: 安樂房に代りて執筆の任に當らしめらる。又唱導に
J20_0487B32: も長じたりしとみえ。外記入道逆修説法を宗祖に請
J20_0487B33: ひし時。宗祖は一日の唱導を彼に讓られしと云ふ。
J20_0487B34: 勢觀房源智は信空感西等に次ぎて。宗祖の晩年最も

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