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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0486A01: 始め百九十名の署名あるも。三日に亘りて記名せる
J20_0486A02: ものとて。再出三出等重復あれば百七十餘名を出で
J20_0486A03: ざるべし。此外祖傳其他書中に出づるもの三四十名
J20_0486A04: あり。合して二百餘名なるも。中に於て多少傳記事
J20_0486A05: 跡の尋ぬべきは四十餘人に過ぎざるなり。
J20_0486A06: これ等諸弟子の間には幾多の種類あり。これを分
J20_0486A07: 類することは種種の點に於いて便宜尠からず。即ち
J20_0486A08: 宗祖の菴室に同居し。或は近傍に住居して。宗祖の
J20_0486A09: 起居寢食等日常の用務を辨じ。内に在りて宗祖の傳
J20_0486A10: 敎弘通を助成したる者は。常隨給仕の弟子とも稱す
J20_0486A11: べく。時時菴室を訪ひて法話を聽聞し。或は終始宗
J20_0486A12: 祖に隨從すれども他宗の寺院或は別處に住して。日
J20_0486A13: 夕其菴に在ざる者は。受法問道の弟子とも稱すべく。
J20_0486A14: 而して此等受法問道の弟子の中にも。宗祖の信德を
J20_0486A15: 敬慕し。法義を承問することあるも。依然本宗本寺を
J20_0486A16: 離れざる者は。之を客弟子とも名くべく。其宗祖の
J20_0486A17: 門下に在りて出家し。或は他宗より來るも全く宗徒
J20_0486B18: となれるは。之を直弟子とも稱すべし。
J20_0486B19: 常隨給仕の弟子として知らる人は。法蓮房信空。
J20_0486B20: 眞觀房感西。勢觀房源智等前後數人に過ぎざりしが
J20_0486B21: 如し。就中法蓮房信空は初叡空の弟子なりしも。叡
J20_0486B22: 空滅後宗祖の門に入る。然れども同菴のことなれば。
J20_0486B23: 最初より師資と同じかりしかば。隨從の年月最も長
J20_0486B24: く。宗祖の親任門弟の心服も甚深厚なりしが如し。彼
J20_0486B25: が宗祖七七忌日の諷誦文に。『先師廿五歳の昔。弟子
J20_0486B26: 十二歳の時。忝なくも師資の契約を結び。久しく五十
J20_0486B27: の年序を積めり』と云ひ。又『北嶺黑谷の草菴に宿
J20_0486B28: せしより。東都白河の禪房に移りしに至るまで。其
J20_0486B29: 間撫育の恩といひ。提撕の志といひ。報謝の恩昊天
J20_0486B30: 窮りなし』と云へるによれば。彼は宗祖廿五歳の時
J20_0486B31: 入門し。叡山黑谷より諸處に隨從して。五十六年の久
J20_0486B32: しきに及び。宗祖の撫育提撕を受くること莫大なりし
J20_0486B33: が。彼も亦よく宗祖に奉事したることは。沒後遺誡文
J20_0486B34: に。『門徒雖多信空實是多年給仕弟子因爲表懇志

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