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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0481A01: して。當時朝日山信寂は慧命義を作り。次て中道寺
J20_0481A02: 覺性は扶選擇論七卷護源報恩論一卷を著し。中世望
J20_0481A03: 西樓了慧は新扶選擇報恩集二卷扶選擇正輪通義一卷
J20_0481A04: を作り。德川の初期に方り。袋中は評摧邪輪一卷。
J20_0481A05: 眞迢は念佛選摧評一卷を著し。各反駁を試みたり。
J20_0481A06: 高辨の後。叡山の隆眞法橋(或は上野並榎竪者定照と
J20_0481A07: 云ふ)は彈選擇なる書を著して此集を難破せしが。
J20_0481A08: 隆寬律師顯選擇を作りて之を反駁したるにより。遂
J20_0481A09: に嘉祿三年の法難を誘致せり。正元文應の交。日蓮
J20_0481A10: 守護國家論。立正安國論等を作りて又此集を難ぜり。
J20_0481A11: かく難破の頻出するは。軈て此集の内外に向ひて保
J20_0481A12: 有する價値の重大なるを語るものならずんばあら
J20_0481A13: ず。
J20_0481A14: (四) 元久建永の厄難
J20_0481A15: 宗祖が叡山を降り西山に居り。東山に移られし當
J20_0481A16: 初に於ては。南都北京の諸宗の人人は勿論。叡山に
J20_0481A17: 於ける大衆の多數も。風馬相關せず。叡山に於ける少
J20_0481B18: 數の知己も。空也良忍兩人の運動ほどにも考へず。極
J20_0481B19: めて輕視したるが如きも。開宗數年を出でざるに。燎
J20_0481B20: 原の勢を以て天下を風靡せる宗祖の運動を目睹し。
J20_0481B21: 少數の識者は其信仰の偉大なるに驚歎して之に隨喜
J20_0481B22: せしも。多數の瞶瞶者流は嫉視反目して之に妨害を
J20_0481B23: 加へんと企てたり。元久元年十一月。比叡山三塔の
J20_0481B24: 大衆大講堂に會し。宗祖勸進の念佛を禁止せんこと
J20_0481B25: を座主に迫る。翌年。南都興福寺衆徒同樣のことを
J20_0481B26: 朝廷に囂訴す。此等訴訟の動機が。念佛興隆に對す
J20_0481B27: る嫉妬にあるは明なるも。宗祖門下にも南都北嶺の
J20_0481B28: 衆徒に訴訟の口實を供給せる不逞非違の徒少からざ
J20_0481B29: りしなり。即宗祖門下の繁昌に從ひ。無智無愧の輩
J20_0481B30: 侵入し來り。宗祖の敎旨を識らずして誤解し。或は
J20_0481B31: 識りて故意に曲解して。或は諸宗を讒謗罵詈し。或
J20_0481B32: は放逸無慚僧風を破壞したり。故に南都北嶺の憤恚
J20_0481B33: を鎭め宗門の安全を謀るには。此等不逞の門弟を誡
J20_0481B34: 飭することが第一の要件なり。故に宗祖は七箇條の

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