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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0480A01: り。幾もなく癒えしも。翌年正月元日より別請を辭
J20_0480A02: して草菴に籠居し。別時念佛を修行して遂に三昧を
J20_0480A03: 發得し。種種の好相を感見せらる。是より彌陀經三
J20_0480A04: 卷の日課讀誦をも廢し。六萬の日課を七萬に增加し
J20_0480A05: て。念佛以外餘事餘行を雜へざるに至られたり。是
J20_0480A06: 實に宗祖生涯に於ける第四轉機なり。九條家は特別
J20_0480A07: として此後も稀には參向せられしも。以前の如く頻
J20_0480A08: 繁なる能はざるが故に。始終の對面に代るべきもの
J20_0480A09: の必要なるは第一の理由なるべく。又當世並に將來
J20_0480A10: に垂るるには書籍に如くはなきが第二の理由なり。
J20_0480A11: 此二理由を以て九條公は使を以て宗要を記述せられ
J20_0480A12: んことを宗祖に懇請せられたり。此懇請辞するによ
J20_0480A13: しなく。眞觀房感西。安樂房遵西。善慧房證空等數
J20_0480A14: 人の門弟と共に。之を編輯せられたり。此により。
J20_0480A15: 一宗敎相の建立。行儀の解釋は。確定宣明せられた
J20_0480A16: り。是實に形式的に本宗の開立を宣布したるものに
J20_0480A17: して。淨土源流章が以て淨土開宗と見做せる所以な
J20_0480B18: り。選擇集は九條公の請によりて。宗祖在世の間は
J20_0480B19: 世間に披露することを遠慮せられ。唯親しき門弟の
J20_0480B20: みに。披閲書寫を許されしに過ぎざりしも。數年を
J20_0480B21: 出でざるに廣く世間に傳寫流布したり。之により往
J20_0480B22: 生の直路を會得せる者少からざるべきも。又之に對
J20_0480B23: して疑難を懷き難破を試みし人も間間之ありき。園
J20_0480B24: 城寺の公胤は後者に屬せる一人にして。淨土決疑鈔
J20_0480B25: 三卷を造り此集を難破し宗祖の下に送りしも。後其
J20_0480B26: 非を悔ひ。宗祖滅後七七日の法事には自ら請ひて導
J20_0480B27: 師たりしとの傳説あり。建曆元年宗祖勝尾より歸洛
J20_0480B28: を祝し。門弟發起して之が刊行を企て。翌二年に成
J20_0480B29: 就したり。是謂ゆる建曆本なり。かく書寫して流布
J20_0480B30: したる外に印行して頒布さるるに及びては。之に對
J20_0480B31: する信謗の論。在世に增して紛然たりしは已むをえ
J20_0480B32: ざる所なり。於是宗祖入滅後幾もなく。栂尾の高辨
J20_0480B33: は摧邪輪三卷(建曆二年十一月)。及同莊嚴記一卷(同
J20_0480B34: 三年六月)を作りて猛烈に之を破せり。此二書に對

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