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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0479A01: 文治五年八月五日を以て始めとすれども。兼實公の
J20_0479A02: 別時念佛修行は。安元二年即淨土開宗の翌年以來の
J20_0479A03: ことにして。此別時念佛が。佛嚴聖人と云ふ一无名
J20_0479A04: の高僧の勸に基き。宗祖には關係なきが如きも。か
J20_0479A05: れが如き熱心なる念佛者が。開宗以後十五年を空過
J20_0479A06: して。始て宗祖を請ぜりとも思惟すべからざれば。
J20_0479A07: 其以前。公が屢或聖人の來談せることを記せるもの
J20_0479A08: の宗祖なりしも知るべからず。そはともあれ。九條
J20_0479A09: 公夫妻は屢宗祖を其邸に請じ。戒を受け法話を聽け
J20_0479A10: り。宗祖が小松殿に寓居せられたる理由不明なるも。
J20_0479A11: 或は公が其月輪邸に近く。往返に便利なるが故に。
J20_0479A12: 特に請じて玆に居らしめたるにあらざるか。故に建
J20_0479A13: 久九年以後他邸の招請を辭せられし後も。月輪邸
J20_0479A14: のみは敢て拒まれざりしと云ひ。選擇集の述作が公
J20_0479A15: の願に起因せりと云ひ。又元久元年。山門の囂囂に
J20_0479A16: 對し。宗祖辨護の書を座主に寄せ。承元元年。流罪
J20_0479A17: の際に之が赦免の爲に種種奔走し。其奔走の効空し
J20_0479B18: くして宗祖の土佐に赴かるるに方りて別離の情に禁
J20_0479B19: へず。宗祖の歸洛を見る能はずして其年四月五日薨
J20_0479B20: 去せられしが。死に臨みても尚光親に囑して歸洛に
J20_0479B21: 盡力せしめたるが如き。宗祖に對する信仰の尋常な
J20_0479B22: らざりしを知るべし。然れども宗祖を招請して聽法
J20_0479B23: 歸信したる人人は比較的少數なるも。其草菴を敲き
J20_0479B24: 聞法入信せる者甚多く。中には鬼神をも挫く荒武者
J20_0479B25: あり。王法を恐れざる強盜の張本あり。一文不知の
J20_0479B26: 愚鈍の骨頂ありて。諸有階級の諸有種類の人人を網
J20_0479B27: 羅したり。以て其信仰の平民的にして敎化の普遍的
J20_0479B28: なりしを知るべし。
J20_0479B29: (三) 選擇述作
J20_0479B30: 宗祖一代の述作は。收めて望西樓了惠輯錄の漢和
J20_0479B31: 兩語燈錄にあり。其中宗祖が最も周到なる注意を以
J20_0479B32: て著述せられしは選擇集なりき。此書述作の因由は
J20_0479B33: 九條公の懇請にして。時に建久九年(或は八年とし
J20_0479B34: 或は元久元年とす)の春のこととす。前年宗祖微恙あ

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