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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0478A01: の法要を聽き。且各疑問を提出して往復徴決す。此
J20_0478A02: 際宗祖語あり。曰く「法門は牛角なれども機根較べ
J20_0478A03: には源空勝ちたり」と。顯眞をはじめ諸德また。口
J20_0478A04: をそろへて「形を見れば源空上人まことには彌陀如
J20_0478A05: 來の應現か」と感歎したりと傳へらるるによりても。
J20_0478A06: 其時の法話の殊勝なりしを想像すべし。是れ世に謂
J20_0478A07: ゆる大原談義なり。世に大原談義聽書とて。聖覺法
J20_0478A08: 印が此時の問答を筆記せるものなりと云ひ。又問答
J20_0478A09: に關し種種滑稽奇拔なる説話を傳ふるものあるも。
J20_0478A10: 多くは後人の假託揑造にして。其眞相を傳ふるもの
J20_0478A11: にあらざるべし。又建久元年春。俊乘房重源の請に
J20_0478A12: 應じ。奈良に赴き東大寺大佛殿に淨土三部經を講説
J20_0478A13: し。一山の大衆を説服せられたり。漢語燈錄に收む
J20_0478A14: る所の三部經釋(或は三經私記と稱す)は此講説の筆
J20_0478A15: 記なりと云ふ。此際にも。南都の大衆が宗祖に對し
J20_0478A16: 不穩の企圖をなしたりと傳ふるも。果して事實なり
J20_0478A17: しや疑はし。此他文治四年五月十五日。淸水寺の印
J20_0478B18: 藏と云ふ者の請に應じ。寺中の瀧山寺に不斷念佛を
J20_0478B19: 開白し。建久三年秋。大和入道見佛の請に應じ。八
J20_0478B20: 坂引導寺に七日の別時念佛を修行し。説戒法話を試
J20_0478B21: みられたり。文治四年八月。後白川法皇河東押小路
J20_0478B22: 仙洞御所に於て如法經の法事を營み給ふや。宗祖を
J20_0478B23: 以て先達としたまへり。是より先。承安四年。法皇宗
J20_0478B24: 祖を請じて受戒し。且往生要集の講説を聽聞して御
J20_0478B25: 感斜ならざりしと云ひ。又建久三年二月。御臨終に
J20_0478B26: 先ち。特に宗祖を召して法要を諮問したまひし等。
J20_0478B27: 歸信淺からざりしが。高倉天皇も。安元元年宗祖を
J20_0478B28: 召して受戒したまひ。其他上西門院。宜秋門院。修
J20_0478B29: 明門院等。貴人の宗祖に歸依し受戒したまふあり。
J20_0478B30: 從て縉紳公卿の間にも。宗祖に歸依し。其邸に招請
J20_0478B31: して聽法し。念佛の行者となれる者少からず。公卿
J20_0478B32: の宗祖に歸依したる者多かりし中に。月輪禪閤九條
J20_0478B33: 兼實公は最も熱心なる信者なりき。上人が九條邸に
J20_0478B34: 赴かれしことの玉葉(兼實公日記)に記されたるは。

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