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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0474A01: 開立の年とするも。若し夫れ本宗獨特の敎相判釋を
J20_0474A02: 形式的に公表し。廢立取捨を世に宣言するを以て。
J20_0474A03: 宗旨建立とするに至りては。尚二十餘年後の選擇集
J20_0474A04: 述作を竢たざるべからず。凝然の淨土源流章は。後
J20_0474A05: 者によりて建久九年を以て本宗開立の年とするも。
J20_0474A06: 本宗に於ては前者によるを普通とす。
J20_0474A07: 抑宗祖開宗の直接の動因は。善導觀經疏第四散善
J20_0474A08: 義の。三心釋の下に於ける一心專念の文にありと云
J20_0474A09: ひ。或は同疏附屬釋の上來雖説の文と云ひ。異説不
J20_0474A10: 同なりと雖も。要は稱名念佛が彌陀覺王の本願行な
J20_0474A11: りとの定説にあり。由來稱名念佛が往生の要行たる
J20_0474A12: こと。淨土敎の發達と共に漸次に提唱せられ。本邦
J20_0474A13: に於ても平安朝已後漸次其傾向を強くし。開宗前後
J20_0474A14: には稱名念佛の流行盛なりしも。諸行の中に於て取
J20_0474A15: 捨選擇を明確に宣言し。且其理由を直截に説明せる
J20_0474A16: は唯獨吾善導の觀經疏なり。而して此簡明なる釋文
J20_0474A17: を看破して一宗を建立したるは吾宗祖を嚆矢とす。
J20_0474B18: 宗祖以前の諸師も又之を見ざりしに非らざるべき
J20_0474B19: も。遂に其眞意に想到すること能はざりし所以のも
J20_0474B20: のは何故ぞ。是れ其人が淨土に專らなる能はざりし
J20_0474B21: は其主因たるべきも。機運の熟不も亦看過すべから
J20_0474B22: ざる原因なりしなるべし。
J20_0474B23: 二 宗祖の生涯
J20_0474B24: (一) 求道開宗
J20_0474B25: 宗祖。諱は源空法然房と號す。崇德天皇長承二年
J20_0474B26: (西紀一一三三)四月七日。美作國久米南條稻岡庄(今
J20_0474B27: 粂南條稻岡南北庄里方誕生寺の地)に誕生す。父は
J20_0474B28: 漆(或は漆間)時國。母は秦氏なり。幼名を勢至丸と
J20_0474B29: 稱す(又定明を射たるにより小矢兒の稱あり或は佛
J20_0474B30: 名御前文殊御前の稱ありしと云ふ)。保延七年春(一
J20_0474B31: 書に三月十九日或書に十三日とす)當庄の預所源内
J20_0474B32: 武者定明の夜襲する所となり。父時國重傷を負ひて
J20_0474B33: 卒す。其將に死せんとするに臨み。當時九歳の幼兒
J20_0474B34: たりし宗祖を枕頭に招き。復讎を斷念して出家得度

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