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J3050 浄土宗寺院調書 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0467A01: 願所の綸旨を賜ふ舊朱印七十石あり
J20_0467A02: ○一別格 (知恩院所轄) 長野縣上水内郡長野町善光寺大本願
J20_0467A03: 皇極天皇の勅に依り大臣蘇我馬子の女御名代として
J20_0467A04: 尼となり尊光と稱し善光寺如來守護職を司る當寺は
J20_0467A05: 創立のときより勅に由り大本願上人の稱號を用ゆ且
J20_0467A06: 天皇御目代たるを以て宗義隨意の處第六十五代智誓
J20_0467A07: 深く淨土宗祖源空に歸し正治元年淨土宗に定む常紫
J20_0467A08: 衣勅許あれども年月詳かならず慶長三年六月十五日
J20_0467A09: 上人號再興の勅許あり明治五年京都知恩院所轄とな
J20_0467A10: る元祿年中堂宇燒失舊記完備せず
J20_0467A11: ○一別格 (知恩院所轄) 京都府京都市上京區安樂小路町光照院門跡
J20_0467A12: 延文年中後伏見天皇の皇女進子内親王自本覺公大師
J20_0467A13: の開創にして佛日山光照院と稱す維新の時に至るま
J20_0467A14: で皇女又は皇族姬宮連綿住職せられたり天明八年洛
J20_0467A15: 中大火の際類燒し普請料として金千兩を拜領す寬政
J20_0467A16: 二年三月五日常盤御所號を賜ふ當院は元四宗兼學の
J20_0467A17: 處明治六年五月二日淨土宗に改め知恩院の所轄とな
J20_0467B18: る舊寺祿三百廿八石あり明治四年七月寺祿現米百五
J20_0467B19: 十石下賜明治九年六月寺祿を廢せられ永續資として
J20_0467B20: 米百五十石代七百二十五圓拾錢二厘宮内省より下賜
J20_0467B21: ○一別格 (知恩院所轄) 京都府京都市上京區上立賣町三時知恩寺門跡
J20_0467B22: 應永年中崇光天皇の古御所を後光嚴天皇の皇女見子
J20_0467B23: 女王に賜ひ入江御所と稱す開祖覺窓性仙大禪尼の時
J20_0467B24: 知恩寺と號し第二世稱光天皇の皇女了山宮御代後柏
J20_0467B25: 原天皇淨土宗御叡信の余り宮中に於て晝夜六時勤行
J20_0467B26: の思召あれども政務を等閑にするを憚らせ給ひ晝三
J20_0467B27: 時は入江殿に於て御勤行の旨住僧了山宮へ勅命あり
J20_0467B28: 故に三時知恩寺と呼び習ひたり其後皇女皇族姬宮連
J20_0467B29: 綿御住職相續あらせられたり天明八年燒失す其後恭
J20_0467B30: 敬門院御舊殿を拜領營繕す古記錄總て燒失の爲め委
J20_0467B31: 悉せず
J20_0467B32: ○一別格 (善光寺大本願末) 大阪府大阪市西區北堀下通四丁目和光寺
J20_0467B33: 元祿十一年德川政府の命に依り信州善光寺大本願智
J20_0467B34: 善の開創にして蓮池山智善院和光寺と稱す同年浪花

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