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J3050 浄土宗寺院調書 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0468A01: 堀江新田阿彌陀池開發のとき境内地千八百坪を除地
J20_0468A02: せらる
J20_0468A03: ○一別格 (知恩院所轄) 京都府京都市上京區百百町惠聖院
J20_0468A04: ○一同 ( 同 ) 瑞華院
J20_0468A05: 右は一院兩號にして應安年中後光嚴天皇の御后崇賢
J20_0468A06: 門院の御建立に係る惠聖院開山光庵は後光嚴天皇の
J20_0468A07: 典侍兼子にして廣橋一位仲光の女崇賢門院の姪なり
J20_0468A08: 瑞華院開基了庵は後圓融天皇の官女にして日野一位
J20_0468A09: 重光の女なり右兩名は崇賢門院に隨從して聖牌を供
J20_0468A10: 養し奉る但右兩院は日野家の女儀住職のときは瑞華
J20_0468A11: 院と稱し廣橋家の女儀住職のときは惠聖院と稱す當
J20_0468A12: 院は第廿代の末に至るまで隔代住職の人に依て院號
J20_0468A13: を異にせり舊朱印六十五石あり
J20_0468A14: ○一別格 (知恩院所轄) 奈良縣添上郡佐保村興福院
J20_0468A15: 天平勝寶年中の開創にして最初和氣淸麿伏見の里に
J20_0468A16: 聖武天皇の御學問所を移し弘文院と稱す寬文五年十
J20_0468A17: 月德川家綱山林六十間四方門前道路百六十間幅四間
J20_0468B18: の新地を寄附し諸堂宇悉く現地に移す天正年中心慶
J20_0468B19: 尼の代弘文尼院と改稱す後光秀の代豐臣家より寺領
J20_0468B20: 二百石を付す其後德川家光先規の如く寺領二百石を
J20_0468B21: 付し天下の洪福を祈るべしとて法蓮山興福院と改稱
J20_0468B22: せり東福門院の御願に依て住持光心に紫衣を賜ひ勅
J20_0468B23: 願所と定めらる爾來代代高位華族の尼僧住職せり維
J20_0468B24: 新の際寺祿を奉還す明治十七年保存資金として金一
J20_0468B25: 百圓内務省より下附
J20_0468B26: ○一別格 (知恩院末) 神奈川縣鎌倉郡東鎌倉村英勝寺
J20_0468B27: 寬永十一年淸因の開創にして東光山英勝寺と稱す德
J20_0468B28: 川家の寄附に係る慶安元年三月十四日勅願所及常紫
J20_0468B29: 衣の綸旨を賜ふ舊寺領四百廿石あり
J20_0468B30: ○一通常寺院 七千○三十七ケ寺
J20_0468B31: 内譯
J20_0468B32: 本寺 八百七十九ケ寺
J20_0468B33: 末寺 五千九百九十七ケ寺
J20_0468B34: 所轄本寺 三十一ケ寺

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