浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0449A01: | となり境内十有二町减じて八町となり末寺四百七十 |
J20_0449A02: | 餘漸く離反のものを生じ九州大檀林の古格廢絶する |
J20_0449A03: | に至れり |
J20_0449A04: | 第二十世法蓮社圓譽元公上人 道譽貞把上人の附 |
J20_0449A05: | 弟にして天正十五年生實大巖寺より轉ず發するに臨 |
J20_0449A06: | みて貞把上人自ら手を把りて曰はく鎭西善導寺は一 |
J20_0449A07: | 宗嗣法の聖地なり汝今住持すること誠に冥加なりと |
J20_0449A08: | 師已に董山し明年大方丈六間九間其の他諸堂を再建し開 |
J20_0449A09: | 山國師三百五十年遠忌を修し又日田龍川寺柳川玉樹 |
J20_0449A10: | 院を開基す天正十七年三月同十八年九月江戸崎大念 |
J20_0449A11: | 寺慶巖上人來りて唱導を勤む慶長十四年十二月廿九 |
J20_0449A12: | 日寂す壽七十有三 |
J20_0449A13: | 第二十一世燈蓮社樂阿了感上人 文祿二年春董山 |
J20_0449A14: | す師亦寺規の恢宏に努め門風漸く興らんとせしが慶 |
J20_0449A15: | 長五年黑田如水來襲して諸堂を破壞し再び廢頽の厄 |
J20_0449A16: | に遭ふ後師博多松林菴に移り寬永十四年三月廿九日 |
J20_0449A17: | 寂す壽八十有五 |
J20_0449B18: | 第二十二世德蓮社運譽是頓上人 慶長五年秋平戸 |
J20_0449B19: | 誓願寺より董山す同六年田中吉政當國を領するに及 |
J20_0449B20: | んで大に當山の廢頽を歎じ自ら檀那となりて三門を |
J20_0449B21: | 重建し鎭西最初淨土門の額を揭げ又諸堂を復興す此 |
J20_0449B22: | より當山漸次隆運に向ふ慶長十四年四月十五日寂す |
J20_0449B23: | 第二十三世一蓮社純譽正説上人 慶長十四年董山 |
J20_0449B24: | す同十九年大書院三間半五間釋迦堂五間六間鐘樓を重建し元 |
J20_0449B25: | 和二年七月東照宮廟を境内に建立す德川幕府五百石 |
J20_0449B26: | を寄贈し其の供料に充つ寂年未詳 |
J20_0449B27: | 第二十四世頂蓮社上譽大通上人 元和四年台命に |
J20_0449B28: | 依りて董山す是より先き慶長の末元和の初に當り切 |
J20_0449B29: | 支丹宗九州に跋扈して幕府の命を奉ぜず仍て島原に |
J20_0449B30: | 於て之を勦絶し後幡隨意上人並に會下の學頭たりし |
J20_0449B31: | 師を島原に派し土民を敎誨せしむるに改宗するもの |
J20_0449B32: | 甚だ多し既にして歸りて復命するや將軍秀忠引見し |
J20_0449B33: | て大に其の功を賞し因て師に告げて曰はく筑後善導 |
J20_0449B34: | 寺は九州第一の巨刹にして淨土宗第二祖の靈跡なり |