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J3040 筑後善導寺誌要 善導寺編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0450A01: 然るに高德の住僧を得ること稀に地邊陬にあり殊に
J20_0450A02: 亂後に屬す師の勞心定めて多からんも國の爲め法の
J20_0450A03: 爲に行きて住持せば幸之に過ぎずと師時に答へて曰
J20_0450A04: はく公心を蒼民の安否に留め憐愛邊土に及ぶ深旨拜
J20_0450A05: 謝するに堪へたり予不肖と雖も謹んで令旨を體し彼
J20_0450A06: に至りて正法の宣揚を期し二諦の安全を畫せんのみ
J20_0450A07: と發するに臨みて長刀紫幕長持高挑燈袈裟等を賜ふ
J20_0450A08: 尋で入院し威望鎭西を壓す元和九年三月十七日常紫
J20_0450A09: 衣の綸旨を賜ふ同年四月十七日寂す壽五十有九
J20_0450A10: 第二十五世光蓮社德譽印慶上人 元和九年董山す
J20_0450A11: 當時德川幕府切支丹宗徒改宗の證として當山主の印
J20_0450A12: 證を所持せざる者は關所の通行を許さざる規定を設
J20_0450A13: け璽後當山より往來印鑑を附與することとなれり寬
J20_0450A14: 永二年以八上人施主となりて大庫裏六間九間を重修す師
J20_0450A15: 寬永三年九月五日寂す
J20_0450A16: 第二十六世果蓮社團譽正阿冏無上人 寬永三年十
J20_0450A17: 一月肥前正定寺より轉ず同九年三月新領主有馬氏自
J20_0450B18: ら施主となりて三祖堂八間四間を再造す此の時門中長老
J20_0450B19: 六名西堂二名塔頭二十四坊あり九州寺院はすべて當
J20_0450B20: 山に於て之を管領せりと云ふ寬永十二年寺務を辭し
J20_0450B21: 同十八年三月二日寂す
J20_0450B22: 第二十七世源蓮社本譽法輪上人 寬永十二年十一
J20_0450B23: 月增上寺會下より來り董山す同十四年開山國師四百
J20_0450B24: 年遠忌を修し同年四月八日寂す
J20_0450B25: 第二十八世照蓮社廓譽嶺笛上人 寬永十四年奧州
J20_0450B26: 岩城專稱寺より轉ず同十七年小丈方四間八間を建立し翌
J20_0450B27: 年藥師堂を再造す正保中三門大破し復た補修すべか
J20_0450B28: らず因て遂に之を解圮す正保元年九月十六日寂す
J20_0450B29: 第二十九世行蓮社雲譽眞悅上人 正保二年二月廿
J20_0450B30: 一日增上寺會下より來り晋山し住持十一ケ月にして
J20_0450B31: 同十二月三日寂す後二年住持を缺き爲に離末のもの
J20_0450B32: を出だし堂宇亦衰廢せり
J20_0450B33: 第三十世業蓮社行譽辨忍崇無上人 正保四年冬增
J20_0450B34: 上寺學頭より轉ず師深く一山の衰頽を慨し學識德望

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