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J3040 筑後善導寺誌要 善導寺編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0445A01: に詣で七日七夜參籠し今將に鎭西に赴かんとするの
J20_0445A02: 途次なりと師斯の説を聞きて隨喜極まらず乃ち彼の
J20_0445A03: 僧に從て筑後國上妻庄天福寺に至り初めて國師に謁
J20_0445A04: す時に師年三十八嘉禎二年九月八日なりやがて求法
J20_0445A05: の志を暢べ聞談義莚研覈往復するに慧解天縱にして
J20_0445A06: 師授を待たず遂に明年七月に至りて五部九卷往生論
J20_0445A07: 註安樂集往生要集選擇集圓頓戒儀布薩式等悉く之を
J20_0445A08: 傳受す嘉禎三年七月六日國師告げて曰はく法然上人
J20_0445A09: 門弟の中に愚昧の輩あり上人の義を黷す予が門人亦
J20_0445A10: 然るべし凡そ學生に非ざれば師説を傳へ難し今我が
J20_0445A11: 義を以て汝に付屬す宜しく來世に傳へて憃徒を曉悟
J20_0445A12: せしむべしと越えて八月一日國師師に授くるに手印
J20_0445A13: を以てし自ら血脈を書せらる其の詞に曰はく法然上
J20_0445A14: 人淨土宗の義を以て辨阿に傳ふ今亦辨阿相承の義並
J20_0445A15: に私の勘文徹選擇集を以て沙門然阿に讓與し畢ぬ之
J20_0445A16: を聞く人慥に之を信じ之を行ぜば往生を遂ぐべし仍
J20_0445A17: て祕法を錄せるの狀に手次を以てすと同三日師一卷
J20_0445B18: の書を造り授手印を領解するに國師之を印可す又國
J20_0445B19: 師衆に告げて曰はく我が年闌にして在世久しからず
J20_0445B20: 然りと雖も我が法は悉く然阿に授け畢ぬ義道迷ふべ
J20_0445B21: からず法燈寧ぞ消ゆべけんや然阿は是れ予が若くな
J20_0445B22: れるなり遺弟彼に對して不審を决すべしと又諸人に
J20_0445B23: 對する毎に國師常に曰はく我れ入滅の後法門を然阿
J20_0445B24: に問ふべきなりと同月下旬師故郷に歸らんと欲す時
J20_0445B25: に國師囑するに都鄙遠近唯偏に念佛の行を勸むべき
J20_0445B26: を以てす爾來藝州に住し首尾十年を經寶治二年春年
J20_0445B27: 滿五十にして帝京に上り聖覺法印の妹なる尼淨意の
J20_0445B28: 請に由りて選擇集を談ず淨意曰はく我れ昔故法印の
J20_0445B29: 義を聞く今の義勢先聞に違はずと因て切に洛中に居
J20_0445B30: せんことを請ふと雖も師忽ち歸落の由を示して善光
J20_0445B31: 寺に詣す爾後上野下野武藏上總下總常陸等の諸國を
J20_0445B32: 經歷して廣く淨土の宗義を弘め後鎌倉に入りて初め
J20_0445B33: 大佛谷に住し次で悟眞寺に居す此くの如く東國を經
J20_0445B34: 廻すること實に二十有九年建治二年九月洛陽に赴き

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